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戦車兵神博行の自衛隊チェック116

(戦車の射撃予習)


 普通科隊員は歩く速度で物を考え、戦車隊員は戦車の進む速度で物を考えるのだ。
だから普戦共同の訓練をしっかりしないと意思の疎通がうまくゆかない。
『74式戦車』

 そして戦車隊員はプライドの高い者が多い。
人間関係もそんなに良くないと他職種から転科して来た陸曹が数名同じことを
言っていた。
それも当たっていると思う、肉体的にも頭脳もある程度ないと戦車部隊では役に
立たない、だから私は役立たずだった。
『戦車大隊』


 しかし戦車マンが優秀とは言えない、何故なら駆け足や銃剣道、スキーの冬季
戦技が優れている者が自衛隊では優秀なのであって、戦車に乗れなくても関係無い。
むしろ私のように戦車にばかり乗っていた者は優秀な隊員ではなかったろう、し
かし駆け足や銃剣道ばかりだったら戦車隊員でなくても出来る。
『射撃訓練用の標的』


 戦車連隊に居た頃、間稽古が毎朝行われた。
朝8時の朝礼前に駐屯地2周か、中隊のパークで戦車の射撃予習を行っていた、
以前は集団で走っていたり体操したり、銃剣道の時期には銃剣道の間稽古を行っ
ていた。
 私は戦車の射撃予習に参加していた。
『北恵庭の90式戦車』


 当時私の補職は「操縦手」だった、しかし駆け足の間稽古を熱心にやっても遅
いのは変わらない、例え自分なりに早くなっても全体から見れば人並み以下程度
だろう。
なら戦車乗員として負けない技術を身につけようと思った。
 しかし訓練で戦車に乗れるのは限られている。
いつも戦車に乗れる訳では無いのだ、それで射撃予習に目を付けた。
砲手になっている者が連装行進射や行進間射撃の射撃予習をやっているのだ、砲
手も中々訓練する時間も機会も少ないのだ。
『72戦車連隊の90式戦車』


 そこで私の尊敬する車長の根本二曹が射撃の教官として間稽古で射撃予習の指
導を行っていたので「車長の許可を貰った」と早い時間から戦車の準備をして操
縦席に潜り込みハッチをロックして待機していた。
 間稽古用の戦車は1輛と決まっていて、シートを剥ぎエンジンオイルとミッ
ションオイルの量を調べ、アワメーターの数字を記録する。
暖気運転をして戦車に乗っていると若手砲手がボチボチやって来る、以前は砲手
が交替で操縦していたのだが、お互いライバルだし休憩所で話をするのも勉強に
なる場合があるので雑用は全て私がやることにした。
 ここでの経験は勉強になった、短い距離で素早く号令が出る中、決まった速度
を出さないとならない。
もちろん停止するのも砲手の好みの止め方が各自あり、その癖を覚えた。
『バラキューダで偽装』


 ある砲手は一気にブレーキをかけ、急ブレーキ気味に停止するのが好きな砲手
も居た、砲身が揺れるのを待ちながら射撃するのが良いそうだ。
もちろん静かに停止して射撃するのが良い砲手もいる、それぞれのタイミングに
合うようにメモをとり、各々の砲手好み通り操縦するよう努めた。おかげで操縦
技術が飛躍的にうまくなった。


 『操縦手運転始め』
 『前進よーい、前へ』
 『停止よーい、止まれ』
 『後方よしあと(後)へ』号令が今でも聞こえるようだ。
『バラキューダが外れ中から74式戦車が現れる』


 ある朝、外出から帰り戦闘服に着替え、戦車帽を持ち識別帽を被り射撃予習に
向かおうとしたら、当直陸曹の三曹がジャージを着て「間稽古の駆け足に行く
ぞ」と誘いに来た。
若い営外陸曹のその三曹は内地の61戦車部隊から転属して来たばかりで胸にレン
ジャーバッチを付けた張り切った新進気鋭の三曹だった。

いつも間稽古の駆け足にいない先任士長の私を絞ってやろうと来たのだった、し
かし私の出で立ちを見て「なんだ訓練か?、ご苦労さん、何の訓練だ?」と聞
く、私は「あれ班長は砲手じゃないんですか?」と聞くとちょっと考えて「一応
砲手になっている」と言うので、「じゃぁ駆け足なんてしてて大丈夫なんです
か?、射撃予習に来たことは無いようですけど」と言ったら「なんや?、射撃予
習?、何の射撃予習や?」と聞く。
「あぁまずいこと言っちゃたかな…」と後悔した。
『素早く射撃』

 よくあるのである、「いじめ」とは言わないが、ライバルは少ない方が良い、
教えないのである。
 「ちょっと待て」と当直陸曹は駆けて行った。
1分もしない内に戦闘服姿で現れた、さすがレンジャーだ。
二人で走ってパークへ行き、砲手の射撃予習名簿に出席の印しを付け無事射撃予
習に参加できた。
『エンジン始動、運転始め』


 戦車射撃競技会に参加できる乗員は一部だ、しかも良い成績を残すのは実績の
ある砲手ばかりでなく、センスも必要だ。
しかし選手に選ばれないとセンスが良くても競技会には出られない。
競技会で作業員や監的になってしまっては良い成績も実績も残せないのだ。 だ
から砲手は必死になってライバルを蹴落としにかかるのである。
もちろん砲手ばかりが射撃競技会の選手では無い、車長も操縦手も装填手も同じだ。
少しでも能力の高い乗員を欲しいのは人情だ、良い成績が望める砲手なら良い乗
員にあたる可能性も高くなるから必死になって射撃予習に参加する。
『初弾必中』


 そんな射撃予習もある日突然終了した、私だけだが…。
車長の根本二曹に「神、明日から来るな、お前が来ると砲手の腕が悪くなる、明
日から駆け足に行け」と厳しく命令された、ガッカリした。
後に聞いた話では、私が砲手のリクエスト通りに戦車を操縦するので皆タイムが
上がり成績も良くなったのだが、本番は私が操縦する戦車の砲手は一人である、
つまりどの操縦手も砲手の好み通りには操縦出来ないのだ。それが問題になっ
た、下手な操縦手が操縦しても同じ結果を出すことが砲手の課題になったのだ。
『ドーザー戦車』


 ある意味の卒業となってしまった、それからは間稽古で走る毎日だ。
しかし尊敬する戦車乗りの根本二曹に言われればしかた無い、射撃の神様で砲手
の頃は特定砲手として連隊にその名を轟かせた名砲手だ。
叩き上げで装填手、操縦手、車長も全て極めた戦車陸曹、アメリカにも訓練に派
遣され、11戦車大隊へ転属した時も射撃を教えた人物だ。
 現在は戦車連隊に戻り曹長になっている。

続く