戦争・軍事 > 戦争と音楽の深い関係|戦史研究家のロシア名曲鑑

長大作の「最後の戦い」

戦史研究家のロシア名曲鑑 2
(戦史研究家&ロシア歌曲歌手・ミハイル・フルンゼ

唄うソ連戦車兵とポーランド兵





大作「ヨーロッパの解放」の中の「最後の戦い」(ПОСЛЕДНИЙ БОЙ)
 ソ連という国が存在した時は、とにかく大作映画が作られた。とりわけ、独ソ
戦(1941〜45)をテーマにしたものは、長編でも短編でも軍や戦車を大動員し、
豪華な背景づくりを常としたものである。
 ソ連時代の独ソ戦映画の中でも、規模の上で“超弩級”といえるのが、前に取り
上げた「モスクワ攻防戦」(1985年)も手がけたユーリー・オーゼロフ監督
(1921〜2001)による「ヨーロッパの解放」(1969〜72年、全5部)だ。製作し
て全部が公開になるまで4年を費やし、全編で9時間以上という他に例のない大作
である(たしか、日本の共産党員監督・山本薩夫が製作した日活の歴史大河映画
「戦争と人間」がこれに準ずるくらいの長さだったか。ちなみにノモンハン事件
を舞台にしたこの映画の第三部は、ソ連の旧スターリングラード近郊で撮影さ
れ、ソ連側で協力したのがオーゼロフ監督だった)。
 当時、ワルシャワ条約機構が元気な時代で、「ヨーロッパの解放」には東独
(いまはソ連同様、無い)、ルーマニア、チェコスロヴァキア(今は2国に分
裂)、ユーゴスラヴィア(バラバラ‥)、ポーランドのような東側諸国にイタリ
アまで製作協力し、各国の俳優が多数出演している。日本で公開された当時話題
になったのは、スターリンやヒトラーはもちろん、ルーズベルト、チャーチルな
どの政治指導者から各国軍の将軍たちまで“そっくり俳優”(一部は例外もあった
が)を起用したことだ。一般の観客には、退屈きわまりないだろう会議シーン
は、けっこう客観的な歴史資料をふまえていることもあって、リアルなことこの
上なし!
 戦場シーンの再現もハンパではなく、ソ連軍3000名、戦車150輌、航空機、火
砲多数を用い、T-34中戦車改造のティーガー重戦車が10輌、IS-2重戦車改造のパ
ンター中戦車は8輌製作されるという手の込みようだった。しかし、けっこう撮
影は大雑把で、荒が目立った。T-34-85戦車の群れが突進していくシーンを横か
ら捉えたシーンには、上下式立体撮影台の上に載ったカメラチームの影が映りこ
んでいたり、同じカットを色の濃淡を変えただけで使ったりと「もっと、丁寧に
やんなよ!」といいたくなるような突っ込みどころも満載w
 でもまあ、よく作ったものである。この映画、実は雄大な戦闘シーンより、細
かな人間ドラマや兵士たちの台詞が面白い。1984年、三鷹駅南口にあったオス
カー劇場という映画館で「リバイバル一挙上映」があって、筆者は弁当2個を持
ち込んで中で昼・夕食をとりながら見た(休憩時間に灯りがともると、まわりの
数十人が当時は珍しかった“ソ連人”ばかりだったのにはビビッた。いまじゃ、ロ
シア人なんてそこらに居るのに)。
 ともかく、半分がドンパチの戦闘シーン、残り半分が会議(国際会議やらス
ターリン取り巻きの会議から、ジューコフ元帥の司令部まで、ともかく会議が多
い。もちろん、ドイツ側の会議もあるわけで、社会主義国家の“会議を中心に全
てがまわる”という官僚主義的認識が伺える)か人間ドラマということで、第四
部・五部のベルリン攻防戦のあたりに来る頃には、ヘトヘトである。その中で、
慰めになるのは、時折流れる軽快な音楽だ。
 この映画の音楽監督は、ソビエト・リアリズム・クラッシック音楽の巨匠アラ
ム・ハチャトリアンだ。「剣の舞」の人ね。ともかく曲想が変わっているので有
名なこの人、映画全体のテーマとして背景に流れる楽曲は前回とりあげた「聖な
る戦い」をモチーフした重厚なもの。重たいのがドーンと中心にハマっている中
で、割と感じよい行進曲も作って織り交ぜている(「ドニエプル行進曲」その
他。これは正式名称ではありません)。
 しかし、最後の最後になって、異色の歌が登場します。「最後の戦い」という曲。
 これは、ベルリンの市街戦に参加した歩兵中隊長ヤルツェフ中尉が激しい白兵
戦闘の後、出遭った砲兵大隊の将校やその“戦場妻”である看護兵のゾーヤといっ
しょに、休養中のドイツ家屋の中でギターを手に歌い上げるもの。この曲、ヤル
ツェフ中尉を演じた俳優で歌手のミハイル・ノシキンが自分で作詞作曲したもの
で、映画へは持ち込み。巨匠ハチャトリアンがよく許したものだが、「最後の戦
い」は映画以上に大ヒットし、今日でも歌われている。また、「赤の広場」で行
なわれる軍事パレードでも、行進曲に編曲されたものが毎年使われているという
人気曲。
♪僕らは こんなに こんなに 長く 休んでいない
 戦争につぐ 戦争
 ヨーロッパの半分を歩き 血の河をわたり 地を這ってきた
 あと もう少し もう少しの辛抱  最後の戦闘 最も激しい戦い  
 ロシアの家に帰りたい
 僕らは こんなに 長く ママに会っていない♪



(参考映像)

 砲火の騒音と閃光をバックに、ギターで切々と歌い上げられる。このシーン
は、「ヨーロッパの解放」の中でも最も人間味のあるところだ。ロシア兵たちが
くつろぎ、歌っている家に総統地下壕のゲッペルス宣伝相が電話をしてきて、家
の主人であるおばあさんとこんな会話をするのも、しゃれた演出だ。
ゲッペルス「最高司令部だ。そこにロシア兵はいるか?」
老婆「いますよ、います」
ゲ「彼らは何をしている?」
老「歌っていますよ」
ゲ「何? 歌っているだって?」
老「ところで、あなたはどこの司令部の人? ロシア軍? ドイツ軍?」
ゲ「ドイツの最高司令部だ!」
 実際、ベルリン攻防戦でドイツ軍の指揮系統は混乱し、民間回線で電話をかけ
て「ロシア軍はそこに来たか?」と司令部は尋ねていたという。
 「ヨーロッパの解放」には、他にも面白いシーンがある。燃料が無くなって停
止したソ連戦車隊の軍曹とポーランド兵がウォッカの入ったタンク貨車を見つ
け、中身を飲みながらポーランド民謡「森へ行きましょう」を歌うシーンなどが
それだ。
左側が、ミハイル・ノシキン

 
 この映画が製作された当時、ポーランドでは反ソ機運が高まっていたこともあ
り、ことさらポーランド兵が活躍したり、ロシア兵と仲良くするシーンが登場する。
 そんなこんなで、各国の登場人物たちの人間ドラマがけっこう散りばめられた
「ヨーロッパの解放」だが、最後は主要なメンバーのかなりの部分が戦死してし
まう。「最後の戦い」を唄ったヤルツェフ中尉も、彼といっしょに地下鉄へ対戦
車砲をおろしたゾーヤ看護兵の愛人である砲兵大隊長も、そしてポーランド兵と
ウォッカを飲んで唄った戦車兵も‥。
 「戦争にハッピーエンドはない」というのが、ソ連時代の戦争映画の特徴だっ
たように思う。アメリカ映画との違いだが、戦勝に酔ったりするには、旧ソ連の
死者2600万人はあまりに重い。


ミハイル・フルンゼがバリトン・バス歌手を務める「パリャーノチカ」

続く