戦争・軍事 > 戦争と音楽の深い関係|戦史研究家のロシア名曲鑑

歌に見るロシア兵たちの死生観―「前線の森の中で」

戦史研究家のロシア名曲鑑 4
(戦史研究家&ロシア歌曲歌手・ミハイル・フルンゼ

参考映像
「前線の森の中で」…アレクサンドロフ記念ロシア陸軍アカデミー歌と踊りのア
ンサンブル(ブランテル生誕100周年記念コンサート・2003年)


 ロシア語を勉強して、わりとすぐに覚える不思議な単語に「ニチェヴォー」と
いうのがある。英語で言えば、Don’t mind!(なんてことないさ)みたいな意味
もあるのだが、どちらかというとあきらめ、諦観というものが込められたものだ。

 ソ連崩壊後、ロシアの戦争映画で、しばしば懲罰大隊がとりあげられることが
ある。独ソ戦時、ドイツ軍に包囲されたり、捕虜になったりした後に脱出してき
た将兵が階級に関係なく配属される消耗部隊だ。後ろからNKVD(内務人民委員部
=特別警察)部隊の機関銃で脅しつけられ、強力に防御されたドイツ軍陣地へ
真っ先に突撃させられる。ひるんで後退しようものなら、味方の銃撃で殺され
る。「前方での名誉ある死か、後方での裏切り者としての死か!」−そんなハッ
パをNKVD将校からかけられ、わずかばかりの弾薬と小銃をわたされて死地に突っ
込むのだ。

 そんなとき、ロシア兵がボソっという言葉は、必ず「ニチェヴォー…」だ。
「ま、仕方ないか(ため息)」くらいの意味。そして、「共産主義者め、呪われ
ろ!」「魔女のばあさん!(チョールタヴァ・マーチェリ)」とでもつけ加えれ
ば、もう立派な荒くれロシア兵。

 しかし、そんなロシア兵の群れを見て、驚きおののいたのは、相手側のドイツ
兵だ。実録戦記などでは、叫び(たいていは、「ウラー(万歳)!」だ)をあげ
たり、歌を高唱しながら(ロシア兵らしいではないか)ドイツ軍陣地に押し寄せ
るさまを見たドイツ兵は、こんな台詞を交し合うようだ。「なんてことだ! あ
いつら、死ぬのが恐ろしくないのか」「本当に人間なのか…」

 雨と浴びせられる銃弾、それに地雷や迫撃砲火で次々に仲間がなぎ倒されて
も、ひとたび突撃を始めたロシア兵の群れを止めるものは何もない。最後の一人
まで打ち倒すまでは…。ロシア兵たちは、流した血の重みでドイツ軍とのバラン
スシートを書き換え、やがてベルリンまで押し寄せていったのだ。

 「ニチェヴォー」という言葉を、端的に言い表した歌詞を持つ歌がある。「前
線の森の中で」だ。作曲者は「カチューシャ」で有名なブランテル。作詞はブラ
ンテルと組んで数々の名曲を手がけたイサコフスキーだ。

 1943年夏にロシア中央部のクルスク地区で起きた独ソ両軍の激突の後、勝
利したソ連軍がウクライナの首都キエフに向けて進撃を開始した時期にこの曲は
作られた。勝ち戦に乗り始めた頃で、普通だったら威勢のよいマーチでも出てき
そうなものだが、「前線の森の中で」は、静かなワルツ。古くからの名曲、「秋
の夢」を小休止中の森の中でロシア兵たちが聞いている情景を唄っている。

♪♪♪♪♪♪♪♪

白樺から、音も無く軽やかに
黄色い葉が舞い落ちている
古いワルツ「秋の夢」を
アコーディオン弾きが奏でている
低音が溜息をつき泣き言を言っている
そして、まるで我を忘れたかのように
座って耳を傾ける戦士たち
我が戦友

(中略)

♪

過ぎ去った過去の出会いの輝きと喜びが
困難な時に僕らを照らしてくれる
そして、もし戦場に斃れることがあるとしても
それはただ一度だけのこと
しかし、炎と硝煙の中、死に臨むとしても
戦士は怯まずにいたいものだ

♪♪♪♪♪♪♪♪♪

★歌詞…サイト「赤軍合唱団のページ」より(管理人ガッヴァ氏訳)


 蓄音機で、あるいはロシア軍部隊なら今でも見られるアコーディオン弾きかギ
タリストの兵隊の演奏でワルツを聴きながら、兵士たちは故郷や恋人、妻に思い
を馳せている。そして、来る春にはきっとドイツ軍との戦争も終わり(ロシア兵
たちは、ふつう「勝利する」とはいわない。「終わる」という。ベルリンで終戦
を迎えた兵士たちが叫んだ言葉は、「パビェーダ(勝利)!」ではなく「カニェ
ツ・ヴォイヌィ(戦争が終わった)!」だったと、目撃者たちが語っていた)、
ふるさとに帰ることができるかもしれない…でも、この歌ができてから、ロシア
兵たちは二回冬を越した春を待たなければならなかった。

 そして、春が来る手前にはドイツ軍との激しい戦いがある。歌は、そのことも
率直に唄い、ロシア兵の気持ちを代弁する―「そして、もし戦場に斃れることが
あるとしても それはただ一度だけのこと」

 もう少し正確な訳をすると、「もし、大地に体を受けとめられるとしても、
たった一度のことだ」となる。死とは、ロシア兵にとって大地に還っていくこと
なのだ。それは、誰しもが必ず出会う不可避なもので、それが早いかおそいかの
違いだけ。そこを見つめて、ロシア兵たちは「ニチェヴォー…」とつぶやき、た
ばこを加えながら銃を手にとり戦場へ向かう。彼らが戦場で示す勇敢さ、無鉄砲
な蛮勇は独特の死生観、諦観からくるものなのだ。

 この美しいワルツに出会ったとき、筆者は心がふるえた。台詞の意味を知った
とき、作詞者イサコフスキーの温かい視線に、その兵士たちの姿へ向けられるま
なざしのやさしさに感動した(彼ら旧ソ連の詩人たちは、戦時中の多くの時間を
戦場で過ごし、兵士たちと暮らしながら創作をしたのだ)。しかし、残念ながら
というか、当然というべきか、自らを「平和運動」の一翼と位置づけた日本の
「うたごえ運動」では、この曲が翻訳され紹介されることはなかった。

旧ソ連が第二次世界大戦で失った人命は、ゴルバチョフ時代になって初めて発表
された正確な数字で2600万人。そのうちの戦死者は1100万人。現在80
歳前後の女性たちは、同年代の男性の8割が戦場から帰ってこず、婚期を逃した
という。これが深刻な人口減と現在の労働力不足の原因だというのだから、戦争
は悲劇としかいいようがない。

 「前線の森の中で」は、パリャーノチカの歌姫NOAHが愛しているレパートリー
のひとつだ。彼女がピアノを弾きながら唄うと、談笑しながら森に集う男女のロ
シア兵たちがそこにいるような錯覚にとらわれる。
NOAH(パリャーノチカ)

続く