戦争・軍事 > 戦争と音楽の深い関係|戦史研究家のロシア名曲鑑

弾がなくても音楽で戦えるロシア兵魂!

戦史研究家のロシア名曲鑑10
(戦史研究家&ロシア歌曲歌手・ミハイル・フルンゼ


こよなく愛され続ける行進曲「スラブ少女との別れ」(Прощание слав
янки)

 どこの国にも、国民誰もが知っていて愛されている行進曲がある。スポーツ大会や
高校野球に向けた行進曲なんてのもあるが、やっぱり行進曲は軍隊ものが定番! 我
が国では、「軍艦行進曲」なんかパチンコ屋でよくかかって、子どもまで知ってい
る。陸上自衛隊観閲式でかかる「分列行進」なんて知っているのは、通かな? この
曲も、太平洋戦争以前は陸軍サンの行進で演奏される定番で、国民みんながよく知っ
ていた。

 さて、軍楽が国民芸術にまで発展しているロシアでも、行進曲はあまたある。しか
し、この曲をおいてロシア行進曲を語れないというものに、「スラブ少女との別れ」
がある。国民的行進曲で、いまロシアでも最高の人気を誇るクバン・コサック合唱団
がお得意のナンバーとしている。

【参考映像=クバン・コサック合唱団「スラブ少女との別れ」/YouTube映像】

 この演奏では歌詞付きで唄われているが、歌詞は新旧何種類かある。創作された当
初は、器楽のみ演奏だった。1912年にヴァシリー・イヴァーノヴィッチ・アガプキン
(1884-1964)によって作曲されたこの曲は、同年勃発した第一次バルカン戦争に召
集され出征する騎兵部隊を壮行するために作られた。

 アガプキンは、貧しい農業労働者家庭出身で早くに両親を失って孤児になったが、
10歳の時に帝政ロシア陸軍第308予備大隊軍楽隊に拾われ、当番兵兼見習いとして育
てられた。22歳の1906年、第16トヴェーリ竜騎兵連隊に入隊し、以後、軍楽畑をずっ
と歩むことになった。1912年には、第7予備役騎兵連隊の先任ラッパ手をつとめてお
り、同連隊が出征するに際して作曲したのが「スラブ少女との別れ」だった。

 時すでに2年後に勃発する第一次世界大戦を予測させるキナ臭い情勢にあり、愛国
心を煽るようなスラブ的旋律のこの行進曲は、聴いた者すべてを感動させ、あっとい
う間にロシア全土に広がることとなった(以下、軍楽隊演奏の例)。

【ソ連陸軍クレムリン軍楽隊「スラブ少女との別れ」/mp3録音】


 以後、「スラブ少女との別れ」は第一次世界大戦で出征するロシア将兵を送り出す
駅や港で、さかんに演奏された。1917年に革命が勃発し、ソヴィエト政権が成立する
と、これに対して反対する反革命側(白衛軍)でも革命側(赤軍)でも、両陣営とも
にさかんにこの曲が演奏されるようになった。特にシベリアを本拠地にして東からソ
ヴィエト政権を攻撃したコルチャーク提督が率いる白衛軍は、曲名を「シベリア行進
曲」と呼び換えて、行軍時、よく演奏した。

 そして、有名なチャパーエフ率いる赤軍部隊に対して大苦戦し、追い詰められた際
に起死回生の着剣突撃をして戦局打開する際、攻撃に軍楽隊を参加させ、「シベリア
行進曲」で部隊を鼓舞した。次の映像が、最近の映画「アドミラル(提督)」で描か
れたそのシーンだが、司令官はこう叫んでいる。

「弾がないからって、そんなことが何なんだ! 神は我らと共にある! 祖国ロシア
のために、進め! …音楽は力だ! 軍楽隊を前に出せ!」
【映画「アドミラル」より/YouTube映像】

 行進曲に鼓舞されたロシア兵たちは、機銃弾の雨になぎ倒されながら、長い銃槍の
ついた小銃を構えて進んでいく。正に、「音楽がなくて、戦争なんかできるか?」の
世界である。彼らの堪忍袋の緒は、仲間を助けるために戦場を共に駆ける女看護兵が
機銃弾に撃ち倒されて、切れてしまう。獣のような叫びをあげて敵陣へ…。

 ちなみに「アドミラル」で描かれたロシア国内戦争(1918-1920)の時期、アガプ
キンはソヴィエト政権側につき、赤軍第一軍楽隊の隊長に任命され、更に1919年以降
は秘密警察部隊(GPU)軍楽隊長に転出している。白衛軍はソヴィエト側作曲者の作
品を軍楽で使っていたのである(まあ、カトケン殿が報告しているように、チェチェ
ン・ゲリラがソ連軍歌やロシア民謡を戦場で唄っていたのと同じ図式だ)。
 「スラブ少女との別れ」は、実は女性を守るために男たちが出征する、というテー
マを込めている。第一次バルカン戦争は、19世紀以来バルカン半島へ覇権を及ぼそう
としてきたロシアの仇敵、トルコ帝国の侵略から兄弟姉妹であるスラブ諸民族を守る
という大義の下で戦われた。曲のイメージは、行軍してトルコ軍に向かっていくロシ
ア軍部隊をバルカンのスラブ女性たちが同胞としてあたたかく見送る、という内容だ
と昔のロシアの解説書にはある。

 というわけで、ロシアの心というよりもっと広いスラブ魂がこもった「スラブ少女
との別れ」なのである。だから、ソヴィエト時代も、この曲はガンガン演奏された。
独ソ戦を描いた映画でも、よく登場する。代表的なのは、ミハイル・カラトーゾフ監
督作品「鶴は翔んでゆく」で、主人公が出征する恋人を見送る切ないシーンである。

【映画「鶴は翔んでゆく」より/YouTube映像】

 このシーンは、なかなかのものだと思う。見送りに来たけれども、愛する人に声を
かけられない喧噪。招集された男たちを、俗世間から断ち切る合図のように鳴らされ
始める軍楽…。1941年の夏、にわかに始まった独ソ戦が市民たちを翻弄する様が、見
事に描き出されていると思う。この曲で送り出された男たちは、8割が二度と愛する
人の許へ帰ってこなかったのだ。
 アガプキンは独ソ開戦当初、あいかわらす秘密警察畑の内務人民委員部(NKVD)所
属、特別自動車化狙撃師団の軍楽隊長という職にあり、「スラブ少女との別れ」と共
にタクトをふるって戦争に参加した。そして、1941年11月7日、ドイツ軍をクレムリ
ンの城壁からわずか20数kmまで迎えたモスクワの10月社会主義革命24周年記念軍事パ
レードが挙行された際、行進伴奏で軍楽隊の指揮をしたのがアガプキンであった。当
然、「スラブ少女との別れ」も演奏された。

 同じ赤の広場で1945年7月24日に行われた対独戦勝記念パレードでも、アガプキン
のタクトのもと、「スラブ少女との別れ」が演奏されて凱旋兵士たちが行進したので
ある。以後、ソ連時代から今日まで、この行進曲はロシア国民にとって忘れがたい曲
となり、また名行進曲として欧米諸国軍楽隊のナンバーにも採り入れられたのだ。