ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

北九州高速の成長を下到津Rに見る2



 下到津R(ランプ)は、戸畑区戸畑と小倉南区の間の市街地を通過する福岡県道2 
71号下到津戸畑線に接続している。高速1号の愛宕JCT以西の開通区間は、JR 
九州や東芝などの大規模な工場地帯で、高架の都市高速道路の建設は容認されやすか 
った。ところが、ここから西側は学校や公園などが点在する丘陵の文教地区で、当初 
の計画にも無理があったような気がする。重交通の戸畑BP(R3)が丘陵を南側に 
迂回するかたちで通過している。高速1号計画線は、丘陵をそのまま貫通している。
 

 下到津から鞘ヶ谷、諏訪町までの区間は、小倉北区、八幡東区、戸畑区の境界に広 
がる北九州市では屈指の緑地公園が点在している。到津の森公園、金毘羅公園、中央 
緑地公園、美術の森公園など、計画当時は公園名称が異なっているが、緑地帯である 
ことは何ら変わりがない。ここに都市高速道路を貫通させるのはいかにも無謀であ 
る。多くはトンネル構造になるが、金毘羅池、天藾川などの窪地や、鞘ヶ谷Rでは地 
上区間になるだろう。この計画区間の真下にはほぼ並行して山陽新幹線が北九州トン 
ネルで貫通している。したがって、窪地を含むすべての区間をトンネル構造にするの 
は、元々困難と思われる。構造上の問題をクリアにしても、今度は膨大な建設費用が 
圧し掛かってくる。いずれにしても無理な計画である。
 
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 北九州高速1号
(旧計画線)
 下到津R付近
(1978年発行
「北九州市」
(昭文社)から引用)
 諏訪町から西本町までの区間は、計画当初と現在では地割が全く異なる。新日本製 
鉄八幡製作所の規模縮小に伴う広大な跡地が出現した。JR鹿児島本線の線形改良を 
行い、北九州市最大のテーマパークであるスペースワールドが建設された。幹線道路 
である国道3号(戸畑BP)自体はそのままだが、さらに西へ八幡駅南の市街地を迂 
回する黒崎BPが計画された。1号線計画時は、このようなドラスティックな都市計 
画以前だったため、福岡県道50号八幡戸畑線に接続させていた。諏訪町から枝光ま 
では居住地区の丘陵が続くが、枝光以西はJR鹿児島線に並行する工業地帯を進む。 
この区間は、諏訪町までの区間に比べて容易に用地収用ができそうだが、末端が西本 
町までで、当時の北九州道路へ接続させないことに問題がありそうだ。北九州道路 
は、ここから南に直方方面に向かう。1号線は、あくまでも西側の若松区の需要だけ 
を担うということだろうか。それならば国道3号と直結する線形にするのが自然であ 
る。西本町は、国道3号、北九州道路いずれからも中途半端な接続である。
 
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北九州高速1号
(旧計画線)
下到津Rから
諏訪町Rまでの区間。
(1978年発行
「北九州市」
(昭文社)から引用)
 下到津から八幡東区までの戸畑BP(R3)と絡み合いながら結ぶ区間は着工の目 
処すらたたなかった。開通区間は、既存の広大な一般道路や、河川敷、鉄道跡地、大 
規模再開発地域などに建設された。ところが、この未着工区間は既存の居住地域や、 
市内では貴重な中央緑地公園を貫通する計画で、用地収用には極めて不利だった。ま 
た、西端の八幡東区では、JR鹿児島線の大規模な線形改良に伴う道路計画の見直 
し、黒崎BP(R3)が計画され、北九州高速道路が直結されることになった。それ 
でも、下到津から枝光までの区間は計画線通りでも問題はなかった。

 ところが、1988年3月31日に九州自動車道の小倉東ICと八幡ICの間が開 
通し、北九州市貫通区間が全通した。これまで、北九州市貫通の重責を担ってきた北 
九州道路(黒崎から八幡までは北九州直方道路)は、1991年3月31日に北九州 
高速道路公社※に引き継がれた。この長大路線は、北九州高速4号線とされた。
 
元々、この路線の交通量は極めて多かった。また、北九州道路の通行料金は距離に比 
例するかたちだったが、都市高速に編入された時点で全線均一料金に設定された。そ 
のため郊外からの利用では安くなった。別料金だった都心誘導区間も連続して利用で 
きるようになり利便性は高まった。交通量は急増し、本家の福岡高速道路を大きく上 
回り、名古屋高速道路に匹敵した。

※ 北九州高速道路公社
 正確には、福岡地区と併せて「福岡北九州高速道路公社」である。本社は福岡市 
で、北九州市は北九州事務所というかたちになっているが、本編では福岡地区は無関 
係なので、便宜上「北九州高速道路公社」と表記している。
◆都市高速道路の交通量変移
 北九州高速道路の交通量が、1991年3月から4月にかけて3倍以上になってい 
る。北九州道路と北九州直方道路の編入に伴う増加だが、これらの交通量を単純に加 
えた値にはならない。これは、主として北九州道路と北九州直方道路を直通する交通 
量が多いことに起因する。直通車両は、別の道路として2台としてカウントされてい 
たが、北九州高速道路にまとまったことによりカウントは1台になった。もちろん、 
紫川JCTから既存の北九州高速道路へ直通する場合でもカウントは1台である。そ 
れでも、4月の交通量はおおむね3月の北九州道路と北九州高速道路を合わせた値に 
なっている。編入当初は紫川JCTを経て、高速1号へ直通する車両は案外少なかっ 
た。3月までは別料金だったため、均一料金になった当初は、なかなか直通の利便性 
が浸透しなかったようだ。

参考として、2002年の同時期の交通量を記した。名古屋高速と福岡高速は着実に 
交通量を増やしているが、ほかは北九州高速を含めほとんど変わらない。いずれの都 
市高速も路線を着実に延長させているが、その効果が交通量に如実に反映していな 
い。本件に関しては、それなりに理由が考えられるので別の機会にまとめたいと思う。

続く