ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

日本〜フランス・ジャンクション比較12



 ペリフェリックは、ポルト・マイヨの北側ラウンドアバウトのすぐ北はテルヌ
通り をアンダークロスする。南側が広大なブローニュの森に隣接する緑地帯で
あるのに比 べて、北は市街地の中を通過する。ペリフェリックの敷地には中央
分離帯を含めて緑 化する考えはない。確保した道路用地いっぱいに道路を設置
している。堀割の側壁も 傾斜のないカミソリ型である。それでも、多くの区間
はかつての城壁の跡地に建設さ れたので、元から帯状の公園になっている。

 ポルト・マイヨの北は、その帯が薄くな っていたので、ペリフェリック建設
時に公園は消滅した。それでも市街地が近接する エリアでは生活環境を保持し
ている。ポルト・マイヨからジャン・ジョレス通りと交 差するポルト・ド・ク
リシーまでの約3キロが堀割とトンネルが連なる構造である。 クリシーからの
北部区間は市街地の密度が薄くなり、住宅地から準工業地へ変わるた め高架構
造になる。

◆写真位置図3 テルヌ通りとの交差部からペリフェリック各方向をのぞむ。 (◆写真13から◆写真17までの撮影位置図。)
テルヌ通りにはペリフェリックの出入口は接続していない。右側の縦方向にのび
るの は、ペリフェリックの内側を並行に周回する一般道路である。テルヌ通り
と交差する あたりでは、グビヨン・サン・スィール通りと呼ばれている。正確
にはこの通りはポ ルト・マイヨ東側ラウンドアバウトに接続する通りの名称で
ある。ポルト・マイヨを 長いトンネルでアンダークロスする区間は補助道路の
扱いになっている。名称は利用 実態には関係しないが、せっかく周回してい
て、ほとんどの放射道路と立体交差にな っているのに、通過するそれぞれの地
区における街路名になっている。

 たとえば、環七通りが、大森通り、馬込通り、千束通りと次々に名称を変えて
いっ て、葛西までに30くらいの名称の区間に分割されていたら違和感を覚え
るのではな いだろうか。環七通りの全区間を周回利用するリンクはほとんどな
いだろう。各区間 で利用実態は異なるだろう。青戸と葛西の間は新船堀街道で
も良いかもしれない。慣 れてしまって何も感じないが、環七通りというような
大げさな名称の方が相応しくな いのかもしれない。だいたい環七と名付けられ
ているのに、その内側に6つの環状道 路が整備されているわけではない。あく
までも「7」は計画書における机上の空論の 産物なのだ。

続く