ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

環八通りの77年 3



 田園調布警察署前以北は、現在の三本杉陸橋のあたりまで既存道路が存在して
い る。この区間は環八通りを意識した都市計画により設置されたものである。
しかし、 東京を周回する大規模な計画の一環ではなく、単に世田谷区の新開地
における南北方 向の区切りになる区画境界に過ぎない。

 三本杉陸橋以北は甲州街道までが新築区間である。当時は市街化が進行してい
ない ので余裕のある区画整理が可能だったが、市街化の速度は行政政策に比べ
て著しく早 かった。そのためかろうじて環八通りはフル規格で新築することが
できたが、放射方 向の道路はほとんど新築できなかった。このエリアには環八
通り以外に幹線道路が見 あたらないので通過交通が環八通りに集中する。この
かたちは特に交通流に変化のな い都市間高速道路における交通集中起因と似た
渋滞パターンを発生させる。

 1946年は敗戦の1年後である。将来を見据えた大規模な都市計画道路を精
力的 に整備する時期ではない。焦土と化した首都機能を復帰することが先決で
ある。した がって、この時期の環八通りの整備状況は戦前からの既存道路網に
面影が見える程度 である。ところで、環八通りの整備計画とは別に、東京を周
回するかたちで大規模な グリーンベルトが計画されていた。おおむね環八通り
に沿う線上に緑地帯を整備する ものである。幅には差異があるが、少なくとも
1キロ程度は確保している。この計画 には無理があり頓挫しているが、世田谷
区の砧公園と、葛飾区の水元公園は整備され た。

 もし、グリーンベルト計画が滞りなく実現していれば、環八通りは「パークウ
エ イ」として供用されただろう。1キロ以上の幅で用地が確保されているの
で、緑地内 に広い幅員の高規格道路が整備され、外環道の必要にも迫られな
かったと思う。東京 の道路計画は十分に市街化されたあとからインフラ整備を
するかたちで、決して優れ た政策をしているとは言えない。

 しかし、明治、大正、それに昭和初期には遠い将来 を見据えた優れた計画が
あった。道路整備は需要に応じて整備されるもので、将来を 見据えるにしても
ある程度の限度がある。将来は交通量が増大するはずであると大風 呂敷を広げ
て、過供給することは許されない。逆に整備直後に交通集中で機能停止す る状
態でも問題がある。条件によって幅があるが、当方は20年くらい先を見据えれ
ば良いと考えている。
 グリーンベルト計画など東京の都市計画については、越澤明著「東京の都市計
画」 (岩波新書)、「東京都市計画物語」(日本経済評論社)、および東京都
のWEBサ イトに概要が記されている。


【1955年】
 敗戦から10年を経て、環八通り整備が進み始めた。ただし、戦前に引き続き
環七 通り整備が優先されているので、一気に進むことはない。この時期は、世
田谷区瀬田 付近に集中した。

 ◆地図1で、太線になっているところがフル規格で整備された区間 である。細
線は既存道路を代用している区間である。前章(1946年)で、羽田付 近
(首都高速羽田Rとの交差部と第一京浜との交差部の間)に既存道路があるよう
に 記したが、◆地図1では敢えて線を引かなかった。これは、既存道路の単純な
拡幅が 環八通りにはあたらないからである。この区間は既存道路の用地を含む
かたちで整備 されるが、中心線の線形は既存道路のそれとは異なる。そのため
に敢えてはずした。 実は、この先の章(1987年、2003年)でこの区間
の整備に触れるため便宜上 「未整備」という扱いにした。いずれにしても、京
浜急行線との平面交差や、産業道 路と交差する大鳥居交差点での鍵状の変則交
差により環八通りとしての連続性は保っ ていない。

◆地図1
1955年の環八通り整備状況
 世田谷区野毛3の第三京浜道路の玉川ICと、同区砧1の世田谷通りの三本杉
陸橋 の間においてフル規格で開通した。ただし、これは道路用地をフル規格で
確保しただ けで、立体交差の構造物は一切整備されていない。もちろん、第三
京浜道路も東名高 速道路も整備されていないし、国道246号(玉川通り)も
新二子橋は架橋されてい ないので瀬田アンダーパスも整備されていない。

 中原街道と交差する田園調布警察前交差点のやや北側の雪谷大塚町からの既存
道路 と併せて、瀬田交差点の前後2キロ、合わせて4キロくらいが連続走行で
きるように なった。当時は現在ほど市街化が進行していなかった。瀬田交差点
付近に集落がある 程度で、ほかは計画的な住宅地である。現在の交通状況から
見れば、もう少し広めに 用地を確保しておくべきだったが※、当時は画期的なイ
ンフラである。

 前章(1946年)でも少し触れたが、砧公園が先行して整備されていたの
で、瀬 田交差点の北側は容易に用地を確保することができた。環八通りの幅員
は25メート ルから44.5メートルと幅があり画一的ではない。幅員をメー
トルで表現してもわ かりにくいので車線数で言い換えると、4車線から8車線
ということである。8車線 は、立体交差区間で本線4車線と側道4車線を合わ
せたものなので連続性はない。

 し たがって、環八通りには4車線と6車線の区間があると考えればわかりや
すい。瀬田 5の南側は4車線だが、ここから北側は6車線になる。環八通りと
しては6車線が理 想的だが、瀬田交差点付近は市街化が進行していたので4車
線で妥協したという感が ある。6車線区間は砧公園の東側にあたる。かつての
遠大なグリーンベルト計画の財 産を有効利用したようだ。

※瀬田交差点付近の交通集中
 環八通りには多くの渋滞ネックが存在するが、その多くは立体交差化などの整
備に より解消されると考えられる。ところが、瀬田交差点付近のインフラ整備
は現状がフル規格なので、今後何らかの改善により渋滞解消される見込みはな
い。本報告の末尾 (おまけ)で、この区間の渋滞対策について私見を記した。
根拠も実現可能性もない 戯れ言だが、このような趣向もおもしろいかと思い記
してみた。

続く