ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

環状整備と交通分散2




◆地図1
八戸周辺図。
(赤枠内が◆地図2の範囲。)

◆地図2
八戸(環状系、および高速の)道路図。
((青、緑)点線は、2005年10月時点で未開通区間。(水色)点線も未開
通区 間だが、未着工区間。)
 八戸はJR東北新幹線が到達し、東北線(新幹線開通後、以南は第三セクター
化) が通過する青森県南東部の港湾都市である。一見、東京と青森を結ぶ東北
の主軸が通 過しているようだが、道路に関しては、主軸が貫通していない。国
道4号は岩手県盛 岡からまっすぐ北上して二戸、三戸から十和田市を経て野辺
地に抜けている。八戸の 西約20キロの地点を南北に貫通している。東北道は
さらに遠く、二戸の南の安代で 西に大きく転向し十和田湖の西側から弘前、浪
岡を経て青森に到達する。八戸から東 北道までは八戸道という東北道の枝線を
介して約70キロも離れている。

 実は、安代JCT(ジャンクション)の東北道と八戸道の分岐は、八戸道が本
線 で、弘前方向の東北道が枝線のような線形になっている。東京から仙台、盛
岡から安 代JCTを経て八戸に到達するラインが本線なのである。しかし、道
路構造とは反対 に安代では弘前方向の東北道直通が約60%である。盛岡から
北上する交通の40% が八戸に向かうのである。(このあたりの道路構造と実
際の交通流の関係については 別の報告でまとめたいと考えている。)

 一般国道、高速道路ともに八戸は東北縦貫の主軸からはずれているのである。
 八戸周辺の放射道路には三陸海岸を北上する軸と、三沢方向への軸がある。こ
れら の交通量は東北縦貫の主軸に比べて絶対量がかなり少ない。約20%であ
る。これら のすべてが三陸から三沢に抜けたとしても八戸が通過交通を基盤に
するほどではない が、実際の通過は約30%である。つまり、八戸の通過交通
は東北縦貫の主軸の約6 %である。したがって、八戸の環状道路の整備効果は
都市の内内交通の分散効果を確 認するには適当と言える。

 八戸の環状道路の配置は次のようになっている。(◆地図2を参照。)

(1)内環状線、臨港道路
 内環状線の馬淵川の東区間は、都心の外周に接するかたちで配置されている。
この 区間はやや起伏があり、沿道はすでに市街化が進行している。西区間は田
園地帯を経 て八太郎トンネルを抜けて港湾道路に至る。八太郎トンネル西側の
一部以外は市街化 されておらず、道路だけが整備されている。おおむね4車線
で、西区間は沿道に卸セ ンターがあり、また、港湾と八戸道を結ぶ幹線である
ため大型車混入率の高い産業道 路である。環状道路としてほぼ完成したかたち
になっているため、八戸の環状道路で は最も交通量は多い。
 臨港道路は、八戸港臨港道路として1976年9月に八戸大橋が開通した。

(2)外環状線(青森県道29号八戸環状線)
 1986年11月27日に八戸道が八戸に到達したとき八戸ICの受け皿とし
て国 道104号までの区間が開通した。ほかに東部区間の国道45号までの区
間も早期に 開通したが、とても環状道路とは言えない断続的な部分開通なので
長い間、県道名称 (八戸環状線)に反して環状道路の機能は果たしていなかっ
た。2002年11月に 東部区間は都市計画道路3・3・8白金市川環状線と
して国道45号の四本松交差点 から新井田風の道トンネルを貫通させて田向の
浜街道(青森県道251号妙売市線) まで延長された。田向には広大な八戸市
民病院があり、周辺の市街化進行が始まっ た。また、八戸ICの東側も都市計
画道路3・4・21田面木線として沢里の国道3 40号まで延長された。これ
らの開通により、八戸東部、および八戸道から都心への アクセスにおける渋滞
が緩和された。

(3)高速環状線(八戸道、八戸久慈道)
 八戸周辺の高速道路の開通は下表の通りである。

◆表1
八戸周辺の高速道路の開通経緯。

続く