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「秘話 陸軍登戸研究所の青春」


(森川 晃 2004.2)

「秘話 陸軍登戸研究所の青春」 新多昭二 講談社文庫

 タイトルを見て、てっきり731部隊の暴露話かと思った。作者は、戦時に登戸研究所の研究員で、もち ろん731部隊の事情についても知っている。この部隊はトップシークレットで、単なる研究員程度では真 実は知りえないが、内部事情から察するころができる。各分野の専門家が誰であるかわかるし、この人 がある期間に研究所を不在であったことなどもわかる。状況証拠から戦略の担当者は想像できるのだ。 しかし、この件についてはすんなり具体的な人物名を記して終わりである。森村誠一氏は、このネタで一 財産を築いたのに、何て欲のない人だろう。本当にまじめな科学者だったということだろうか。

 また、帝銀事件の真相についてもすんなり犯人を示唆させる記述をしている。当時の化学の最先端だ った登戸研究所の関係者が絡んでいることは、いろいろなジャーナリストが指摘しているが、いずれも憶 測である。GHQが絡むめんどうな事件なので調べがついても記せないのかもしれないが、この作者はあ っさり記している。それでも、この本は事件の真相を暴くノンフィクションではないのだ。これを期待して読 み進めたのだが最初の数十ページだけで終わってしまった。

 この本は、研究所OBの戦後の職歴を記したものなのだ。登戸研究所に関わった科学者は多くが戦勝国であるアメリカに招聘されたという憶測を読んだことがあるが、実はそうでもない。単に職を失った理系の人になったのだ。日本国としてもめんどうをみることがなく、民間に移ることになる。いかに最先端でも、民間レベルで有効利用できる技術でなければ容易に受け入れてもらえない。作者も自分の専門分野にこだわることなく、時代のニーズに合った分野に落ち着いた。しかも、そこそこ活躍している。拘りの多い異常な科学者ではなく、単に生真面目なところがよかったのだろう。なお、作者の専門は通信である。当初は日銭を稼ぐ必要から手に覚えのあるラジオ屋を営んでいたが、最終的にはコンピューターの 世界に落ち着いた。手先だけでなく世渡りも上手だが、少なくとも本を読んだ感じでは姑息なところはないと思う。世の中の流れに良い意味でうまく流されたということだろう。学歴、職歴ともにエリートで、登戸研究所に招聘された時点で天狗になることもなかった。

 年を経るごとに純粋な開発だけというわけにはいかなくなった。本文に「群を抜いて優秀な奴は奇人が 多い」というニュアンスのことを記している。作者も戦前の国家が認めた才人だが、研究所にはさらに上がいたということだ。

 ところで当方は、このお話はかなり以前から理系の才人に出会うと親睦を深めるために利用していた。 「世が世なら、君は国家に半ば誘拐されて森の中の研究所に連れていかれて、火を使わずに肉まんの 中身だけを暖める装置を作ったりしていたんだろうな。もちろん、この装置は肉まんの調理には使われな いけどね。庶民は戦渦で今晩の米すら入手できないときに、森の研究所では執事が熱々のビーフステ ーキを運んでくるんだ。しかし、食後の散歩は禁止だよ。」 なかなかそのような才人には出会わないし、さらに洒落がわかる人でなければならない。

とにかく、理系の転職記録として参考になった。

<追記>
 この本には、戦後のGHQによる日本国民の「教育」政策について記している。この本だけでなくいくつ かの本にも記されていたこだが、気になることがあったのでまとめてみる。

 占領下の日本では、占領軍により安定化に向けてさまざまなことが行われた。物質的な問題は単純 で、不足しているので提供しただけだが、精神面では3Sと言われる啓発を行った。Sports、Sex、Scr eenである。Sportsは相撲、野球、ボクシングなどに夢中にさせて陰鬱な空気を吹き飛ばそうというもの である。競技場の建設やイベントの主催などに関わった。Sexは単に遊郭の維持である。これは自分た ちも利用したいという魂胆がみえみえである。

 さて、Screenですが、これは映画の撮影、上映の促進である。戦前から映画文化は存在していたが、 占領下では撮影機材の調達が難しかったのでGHQの機材提供は強力な後押しになった。さまざまな映 画が撮影、上映され、1955年ころから映画全盛の時代になった。GHQの撤退時期は映画文化定着時 期と一致するので、GHQの作戦は成功と言えるだろう。

 ところで、この3Sは別名「愚民化政策」とも言われている。低俗な文化を定着させて、良からぬ考えを 起こさせないようにするというミッションである。日本人の勤勉さに相当の脅威を抱いていたのだ。歯止め が利かなくなる前に骨抜きにしなければならない。Sportsは定着し、Sexは形を変えて継続しているし、 Screenは娯楽ではなく芸術的な方向にも進化した。元々、映画、演劇、美術、文学など芸術面におい てはアメリカごときに指導される筋合いはないのだ。見るに耐えないワンパターンのハリウッド映画を性 懲りもなく作り続け、ハリウッドスターが知事に当選するようではどうしようない。知事については、日本も 大阪、東京、長野で都府県民全員が恥をかいているので何も言えないが。