ヒマヒマなんとなく感想文|

ミュンヘン


(加藤健二郎 2006.1)

「ミュンヘン」
監督:スティーヴン・スピルバーグ、
出演:エリック・バナ、ダニエル・クレイグ、ジェフリー・ラッシュ他

 イスラエル側の暗殺部隊が、暗殺などの工作に関しては素人集団でチーム編成されているところがおもしろい。エキスパートたちだと、すでに敵側にマークされてしまっているということだろうか。それとも、敵の手中に落ちた場合を考えてのことだろうか。どちらにしても、スピルバーグが、史実に基づいて作った映画なのだから、素人集団であることも史実に基づいているのであろう。

 暗殺者の感情の変化や悩みに主眼を置いた制作だということを聞いたが、その点に関しては、なにも感じるものはなかった。というのは、報復であれ任務であれなんであれ、暗殺を続けてゆけば自分や家族が狙われる恐怖と戦わなければならないことなど、当たり前すぎるわかりきったことだからである。

 各々の暗殺を成功させてゆく上でのプロセスの描写は、あまりにも雑すぎたと感じる。映画で出てくるすべての仕事は、同一の情報屋に金さえ払えば正確な情報が提供されてゆき、主人公たちは、指定された場所に爆弾を仕掛けてゆくだけというストーリーである。暗殺のターゲットがどこにいるのかを探るところが、このような諜報戦争のもっとも難しいところでありおもしろいところだと私はおもっているので、最も内容を濃く描ける過程をすべて削除して、表面的な結果の部分だけを繋げている印象だ。しかも銃撃戦の描写は、プライベートライアンに比べると、明らかに手抜きを感じた。

 さてもし、このストーリーのような編成での暗殺チームだったことが真実だとしたら、イスラエル政府としては、本気では任務達成を求めていない「捨て駒部隊」に思えてならない。つまり、最初の1人を暗殺できるところていどまでしか想定していず、あそこまで追い詰めていってもらえる予定ではなかった。だから、暗殺チームが成果を挙げすぎたことによって、パレスチナ側もテロによる反撃を繰り広げるという形で戦火の拡大になってしまったのは、イスラエル政府としても困ったのではないだろうか。

 米国CIAだったら、味方の捨て駒部隊が行き過ぎる前に自分たちの手で始末して敵側に殺されたように見せかけたのではないか。そして敵側には「こちらで暗殺者たちは始末たてやった」という恩を売り、敵からもなにかを得るという取り引きを成立させる。

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