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「父親たちの星条旗」

(硫黄島5)

(加藤健二郎 2006.10)
硫黄島2部作映画の「父親たちの星条旗」
	  
*試写会感想

 映画のストーリー構成は、帰還兵のフラッシュバック的記憶を随所に盛り込む
形なので、硫黄島戦の流れは掴みにくい。たとえば、映画の中で雨のシーンがあ
るが、これは、第一波上陸(2月19日)から4日目の2月22日であり、飲料
水不足の日本軍にとっては恵の雨となった日。そして、摺鉢山に星条旗を立てた
のは、その翌日2月23日だ。

 星条旗を立てた兵士たちの人生を描く映画だから、戦闘の流れはどうでもいい
のかもしれないが、米国戦争映画としては、ここまで、時系列が細切れになって
しまってわかりにくいものは珍しいのではないか。また、戦闘行動の描写に繋が
りがないだけでなく、時系列が逆転しているモノもあるので、軍事作戦としての
硫黄島戦争は見えづらい。

 日本軍の組織的抵抗の終結は、米軍上陸から36日目とされているが、星条旗
が立てられるまでの物語は、最初の5日間のことである。

 ちなみに、B−29が不時着するシーンがあるが、これは3月2日(12日
目)だ。日本本土爆撃行きで被弾し北方向から帰還したB−29だと思われる
が、南側から飛んできたように見えた。着陸地点確認のためのオーバーヘッドア
プローチを被弾している機体でやったのかな。

 戦略的な重要性や戦闘の激しさよりも、「絵的にいい、象徴的」などの見た目
が重視されることは、報道写真では当然のことだ。報道は、正確さよりもイメー
ジと速報性が使命だからそれでいいわけが、硫黄島戦では、米海兵隊自体が、
「絵的にいい立場にいた」兵隊を英雄にし、36日間の戦闘で長い期間苦労した
多くの海兵隊員よりVIPにした。

 私の好み的には、そのことをより明確に表すために、硫黄島の主戦場である元
山飛行場、玉名山、二段山、大阪山などの激戦も鮮烈な戦闘シーンとして入れ
て、それら主戦場で戦った兵士ではなく、摺鉢山に星条旗立てた兵士が英雄と
なったという比較ストーリーがいい。

 主戦場で戦った米兵たちは、日本軍の頑強な抵抗、夜襲による白兵戦、死体の
中に埋まって待ち伏せされる恐怖などを味わっていて、それらこそが硫黄島戦の
凄さなのだが、摺鉢山の戦闘のみに焦点を絞ったこの映画では、それらの恐怖が
ほとんど表現されていない。「銃砲撃が激しい」というだけではない恐怖を戦争
映画で表現するのは、難易度高すぎるのだろうか。

 米国には、陸軍、海軍、空軍、海兵隊があり、これら4つの軍隊の中で、海兵
隊は、常に政治的リストラの危機感をもっている。それは、陸軍と任務がバッ
ティングするからである。そこで、海兵隊は「海兵隊ここにあり!!」を戦闘で
示さなければならないという意識が強く、勇猛果敢さをアピールせざるおえな
い。摺鉢山の星条旗に対して「これで海兵隊はあと500年は大丈夫」という言
葉が沖合い米艦艇の高官から出るが、これは、米国内で海兵隊という組織(役
所)が行政改革によって抹殺されることがないだろうということである。

 現在は、イラク戦争が泥沼なので、海兵隊の存亡危機感はまったくない。


というわけで、硫黄島映画バブルに呼応して、硫黄島本も出始めた。
「栗林忠道・硫黄島の戦い」(別冊宝島1363)

実は、この本の執筆、東長崎機関が一部依頼受けたときは、タイトルが「栗林忠
道」になるとは思っていず、「硫黄島」本になるものかと思っていた。
執筆陣に思想系の人が目立ち、中立さ冷静さがなくなりそうだという危機感が編
集部にあり、東長崎機関に、しっかりした戦史家の紹介も頼まれたので、戦車と
いう「鉄の棺桶」の中に座ってた元軍人現在戦史研究家・神博行を押した。

どうも、最初の構成で思想系著者が目立ったためか、信頼できる軍事専門家から
は共著執筆を逃げられてしまったとのウワサもある。

神博行氏は、「硫黄島は自信をもって研究してるわけではないので・・」と断り
モードになっていた。ちなみに、神氏の専門は、ノモンハン戦争だ。

*******

東長崎機関:
神さんが断ったら、思想系の人がチャッチャッと書いちゃいますよ。そうする
と、それを正しいと信じる人が新たに生まれますよ。

神博行:
それは不本意ですが、自分として納得いくものが書けないかもしれないし

・・・・・・・
そのあと、神君は、自衛隊時代の尊敬する上官に相談したところ
「神、お前の知識で書け!」と言われたとのこと。
・・・・・・・

神博行:
自衛隊時代の上官に「そういうことなら、お前が書け」って言われました。

東長崎機関:
神さんの軍人気質としては、尊敬する上官のその命令には逆らえない?

神博行:
はい、従いますよ。書くことにします。
上官に見られて叱られない内容のもの書かないと。緊張します。

*********
というわけで、神博行の「硫黄島戦闘史」が10ページに渡って掲載されること
になったおかげで、この本に、戦史としての内容も盛り込まれることになった。

神博行氏は、自衛隊の戦史研究会の会長をしていた。
これは、気合い入れざるばなるまいって。

本全体の出来が、栗林忠道を初めとした人物像やその他断片現象で、感情的情緒
的思想的に構成されているため、硫黄島の戦闘そのものを理解したい人にとって
は、神博行の「硫黄島戦闘史」は、10ページではモノ足りなかったであろう。
全128ページなのだから、50ページくらいは戦闘を正確なデータをもとに理
解させるためのページがあってもよかったとおもう。

「指定された字数が少ないので、どう削除するかが大変でした」(神博行・談)
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続く