ヒマヒマなんとなく感想文|

「名画座番外地「新宿昭和館」傷だらけの盛衰記」

(2008.10 森川 晃)

「名画座番外地「新宿昭和館」傷だらけの盛衰記」川原テツ 幻冬舎アウトロー文庫

 最近まで現存したヤクザ映画専門の映画館で職員として働いていた作者によるドキュメントである。歴史のある映画館で、十数年前の当方の在京期間にも存在していたが関心がなかったせいか一度も行ったことがない。場所が記してあり、何度も映画館の前を通っていたようだ。

東京は東京以外のほかの都市と決定的に異なるのは、さまざまな文化が存在することである。どんなに狭い範囲の趣味を持っていても受け入れてくれるのだ。ほかの都市ではある程度は発信側の趣向に合せなければならない。こだわりを追求したければ、国内ならば迷わず東京に行くべきである。ほかの都市では妥協とか無難というキーワードに収まるしかない。

 過去の一時、ヤクザ映画の全盛時代があった。戦後から高度成長期の始まりくらいまで、昭和20〜40年代前半くらいだろうか。戦後の何もない時代には任侠の世界は痛快だったと思う。

その後、クールなサラリーマンが有利な時代に変わり、徐々に衰退していった。単に見なくなるだけならばよかったのだが、安全なサラリーマン生活は、危険な香りを「子どもの教育によくない」というキーワードで押さえ込んでしまった。テレビで放映されることはなくなったし、まともな映画館では上映しなくなった。しかし、ファンは少しが残っている。彼らは「まともではない映画館」でしか任侠ものを見られない。新宿昭和館も晩年は常連だけに支えられてきたのだ。

新たな客を呼べず、老いていく常連に頼れば、いずれ消えることは間違いない。オーナーが奇特な人でこの映画館にこだわりがあり最後までねばったが、奇特さがあだになった。何も変えようとしなかったのだ。新宿の一等地に時間の止まった空間を残してしまったのだ。懐古趣味だけで生き 残ることのできる土地ではなかった。


 常連には危ない人が多かったようだ。任侠ものなので、当然同業者が多い。またはそれに準ずる人、選択肢として任侠の世界に関わるしかない人が多かった。この世界にあこがれてやってくる堅気の人がいてもよさそうなのだが、残念ながら今はそんな時代ではない。

 ユニークな人たちが勢ぞろいで、登場人物を紹介したい衝動に駆られるが、この場は純然たる感想文ではなく、連想エッセイのつもりなので我慢しよう。日本映画界が誇る名作シリーズの寅さんは、あたりまえのことがあたりまえにできないことで物語が始まる。手紙をポストに入れてきてほしいと頼まれて店を出ても、簡単には投函できない。何らかの事件を引き起こしてしまう。この映画館には、そんな作り物の世界の登場人物のオンパレードなのだ。

参考までにこの映画館で寅さんのような緩い映画を上映したら客は黙っていない。基本的に映画を見に来ているかどうか不明な客が少なくない。目的があることが珍しいのだ。東京は目的のない人も受け入れるほど器が大きいということだ。しかし、今は彼らを受け入れるシェルターはない。残してほしかったと言うつもりはないが、東京にはそのくらいの余裕があってもよかったとは思っている。