インフラ海外拠点イラク

大手英米紙のサマワ自衛隊報道 3

(報告:常岡千恵子)


『ニューヨーク・タイムズ』(米) 2004年10月24日
     −微笑みが、より効果的な防御とするオランダ軍
	 
	 
  車両から降りたオランダ軍兵士たちは、銃を下に向け、ヘルメッ
トも被らず、徒歩で夜間パトロールを始めた。地元の少年たちが、
「ハロー、ミスター」と声をかけ、途中まで彼らについてきた。

  その後、通りを走行中のオランダ軍の車両から、兵士たちが通行
人に「サラーム・アレイクム」と挨拶すると、イラク人の大人も子供
も手を振り返した。

  オランダ軍は、お巡りさんとソーシャル・ワーカーを兼ねたよう
な役柄を、"ダッチ・アプローチ"でこなす。
  1995年のボスニア・ヘルツェゴビナ内戦のPKOでは無力だ
ったオランダ軍だが、そのソフトな手法をアフガニスタンで磨き、
イラクで発揮中だ。
  彼らは、装甲車のかわりに天蓋のない車両を用い、ほとんど何も
被らず、地元住民との交流を図る。ミラーサングラスも御法度だ。
  司令官のキース・マシッジセン中佐は、「人々の支持と同意が一種
の防御になる。人々と接していれば、彼らに話しかけやすいし、彼
らも情報をくれる。彼らが何を考えているのか、何を心配している
のかもわかる」と語った。

  イラクで最も安全な地のひとつであるサマワに駐留するオランダ
軍と、人々の決死の抵抗に遭遇している米軍とは比較できない。
  とはいえ、現実には米軍はオランダ軍と比べられてしまう。

  米軍はサマワには駐留していないが、彼らのコンボイがバグダッ
トとクウェートを結ぶ幹線道路を往復し、日常的にサマワを通過す
る。
  米軍のコンボイは、攻撃目標にされることを恐れ、人身事故を起
こしても猛スピードで突っ走る。しかも、車間距離を確保するため
に、装甲車に乗った米軍兵士が周囲の運転手に銃を向ける。

  サマワに1350人の兵士を駐留させているオランダ軍は、ムサ
ンナ州の治安維持を担当し、過去14ヵ月の駐留期間中、2人の死
者を出した。
  これらの犠牲を受け、オランダ政府はアプローチの変更を検討し
たが、最終的には、地元当局や市民がオランダ軍を支持していると
判断し、ソフト・アプローチは装甲車にこもるより安全な手法だと
結論づけた。

  23歳のオランダ軍中尉は、「ダッチ・アプローチを破棄しなけれ
ばならないなら、撤退したほうがいいだろう」と述べた。
  27人の小隊を率いる彼は、予算2万5千ドル分のコミュニティ・
プロジェクトを監督している。パトロール中に、道路やフェンスの
修復など、必要と感じた事業を上司に報告し、相談して決める。
(注:前出の『フィナンシャル・タイムズ』の記事は、自衛隊はム
サンナ州での事業予算を明かさないと報じたが、オランダ軍のほう
が透明性が高いことがわかる)

  30分ぐらいの徒歩の夜間パトロールでは、オランダ軍兵士たち
はイラク人の通訳を伴って、地元住民に語りかけた。

  地元住民のフセイン・カメルは、「彼らは敬意を払ってくれる。ア
メリカ人よりずっといい」と語った。
  アサド・アブダル・ラザクは、オランダ軍が銃を所持してこの地
にやってきたことを「挑発的」だと述べたが、大半のイラク人はオラ
ンダ軍を肯定的に捉えている。

  夜間パトロールを率いるオランダ軍軍曹は、「敬意を払わなければ
ならない。ここは、彼らの国だ。われわれは客人にすぎない」と語っ
た。

  サマワの警察署長や住民は、米軍のコンボイはイラク人の尊厳に
対する最大の侮辱だと言う。
  オランダ軍やイラク人によれば、米軍のコンボイは、民間車両や
通行人に無差別衝突し、イラク人を障害物としかみなしていない。
  数週間前には、米軍のコンボイが民間車両に衝突し、イラク人の
死者2人、負傷者3人を出したが、コンボイはそのまま走り続けた。

  マシッジセン中佐は、「もちろん、アメリカ人はオランダ人とは違
ったタイプの人種だ。われわれには、われわれの文化がある。だが、
アメリカ人も、もっと地元民を尊重かつ理解したやり方ができるは
ずだ」と述べた。


。。。。。。。。。。。。。
  さらに、サマワ発ではないが、再び『ロサンゼルス・タイムズ』
が札幌発で、自衛隊サマワ派遣に関する記事を掲載した。

  第2次支援群群長の今浦勇紀1佐が、8月の半分は宿営地を出ら
れなかった、9月にはもっと出なくなった、と語っているのが興味
深い。

  この記事も、日本の大手メディアがなかなか報じないことを伝え
ているので、ついでに要点をご紹介しちゃおう。


。。。。。。。。。。。。
『ロサンゼルス・タイムズ』(米) 2004年10月25日
    −展開によって海外に"ショー・ザ・フラッグ"できた日本
  今浦勇紀1佐とその部隊は、軍事行為を自衛に制限した戦後憲法
を乗り越えようとする、日本の努力の最前線のシンボルかつ兵士と
して、イラクに展開した。

  130人の歩兵を擁する550人の自衛隊派遣部隊は、14万人
もの米軍兵士が駐留するイラクでは、ほとんど目立たない。治安維
持活動の法的根拠もなく、オランダ軍に守ってもらっている。

   日本の兵士たちの多くは、一人も傷つくことなく、一人のイラク
人を傷つけることもなく、軍隊の海外遠征で日の丸を示すという、
主たる目的を達成したと語る。

  小泉首相は、ほとんど国民の議論なしに、自衛隊イラク派遣延長
のシグナルを出している。
  ブッシュ政権にとっては嬉しいニュースである。公然とブッシュ
再選を希望した小泉首相は、来年3月のオランダ軍撤退後に自衛隊
の派遣部隊の規模を拡大させるとも報じられている。

  一方、小泉首相は、日本国民が、自衛隊がイラク進駐軍として戦
闘を行うことを望んでいないことも、感じ取っている。

  というわけで、イラクが危険になればなるほど、隊員は用心深く
なる。

  最近帰国した、人好きのする45歳の今浦1佐は、札幌の駐屯地
で、「平穏だった6月、7月は多くの事業を行って、地元民に受け入
れられました。イラク人は、日本のような大工業国が、彼らの都市
を再建してくれると期待して、われわれに好意を抱いたのだと思い
ます。彼らは、アメリカに敗れた共通の経験を持つ、とも言ってい
ました」と語った。

  だが、8月には外国軍への攻撃が増し、今浦の部隊は厳重に防御
された宿営地の奥に退却した。
  今浦は、コンテナの中にうずくまる隊員の写真を見せながら、「8
月の半分は宿営地を出られませんでした」と述べた。
  今浦たちを継いだ第3次支援群は、もっと出なくなったという。

  「パトロールに出るのは危険だが、パトロールに出ないのも危険で
す。地元の人々は、日本人が一生懸命働いていないと感じ始めるよ
うになりました」。
 「われわれには自衛能力がありますし、もっと活発にパトロールに
出るべきでしょう。少なくとも昼間には」。

  中国の軍拡と、北朝鮮の核武装計画に直面した小泉首相は、現在
日本の防衛政策を書き換えている最中だ。最近、首相の私的諮問機
関が、海外において積極的に安全保障における役割を担うべきだと
進言した。
  日本政府の中には、自衛隊のイラク展開を、ホワイトハウスに恩
を着せるための安い方便だと見る向きもある。もちろん、流血の惨
事にならなければ、の話だが。

  今浦1佐は、「ええ、犠牲者が出ると覚悟していました。出発前に
は、隊員たちに、私は運のいい男だ、きっと生還させる、と言いま
した。しかし、実は犠牲者が出ると思っていました。われわれは、
とてもとても、幸運だったのです」と述べた。



続く