2005年3月上旬、いよいよサマワで治安維持を担当していたオラン
ダ軍が撤退し、代わりに英軍がサマワ駐留を開始。
小泉首相とブレア英首相の依頼により、同年5月には、オーストラリア
軍450人が新たにサマワの治安維持活動に加わることになった。
オーストラリアのハワード首相は、2005年初めまで自国民に対し、
これ以上オーストラリア軍をイラクに派兵しないと言明していた。
それが2005年2月末に一変し、突如増派を決定したため大問題とな
り、さらにサマワの自衛隊群長の発言も一役買って、ハワード政権支持率
低下を招いてしまった。
この事件は、サマワの自衛隊が他国の政権に打撃を与えてしまったとい
う、これまでにない重大ニュースである。
なのに、日本ではほとんど報じられることはなかった。
というわけで、今回から、"大手英米メディアの自衛隊報道"を"英語
圏大手メディアの自衛隊報道"に改め、さらに枠を広げて、日本国民には
滅多に伝えられることのない、海外の自衛隊報道を追跡してみたい。
![](z/z103_1.jpg) 『キャンベラ・タイムズ』 2005年2月27日付
「ハワードの関心、再度イラクに向く」と題する、首相の変心を批判した
記事。
2004年4月から2005年初めまで、何度もイラクへの派兵を増や
さないと公言したにもかかわらず、英米日政府の圧力に屈して、主として
日本の復興支援部隊を護衛するために、急に増派を決定したと報じている。
興味深いのは、シーア派の多いサマワは、現在は比較的安定しているが、
もし米国が核開発疑惑を抱くイランを攻撃したら、イランのシーア派は、
他国のシーア派に外国軍への攻撃を促すだろう、と指摘していること。
やはり、日本の大手メディアよりも視野が広い。
![](z/z103_2.jpg) 『サンデー・エイジ』 2005年2月27日付
ハワード首相が、NHKとのインタビューで、オーストラリア軍のサマ
ワ派兵決定において、第二次世界大戦中の日本の捕虜の扱いの問題を考慮
したと答えた、と伝える記事。
オーストラリアや英国では、現在も、旧日本軍による非人道的な捕虜の
処遇に対する根強い反日感情が残っている。
ハワード首相が日本国民に対し、捕虜問題を忘れたわけではないと示し
たことが、ニュースになるほどなのだ。
にもかかわらず、ハワード首相は、それまでの公約を翻し、自衛隊の警
護のために自国軍のイラク増派を決定した。
もちろん、その決定の裏には、日本との自由貿易協定締結の狙いがある
と見られている。
ハワード首相はインタビューでこの意図を否定し、日豪関係の重要性を
訴えたが、外交とはギブ・アンド・テイクに基づいているのが常識。
とはいえ、国内世論の反発が予想される状況下で、彼がオーストラリア
軍のサマワ派兵を決めたのは、それなりのリスクを伴った決断といえよう。
オーストラリア政府は、サマワ派兵はここ数週間のうちに決定されたと
発表したが、この記事は、オーストラリア空軍准将が、2004年12月
頃に英国から打診があった、とABCラジオに語ったことも伝え、政府発
表の矛盾を突いている。
以上のように、オーストラリアでサマワ派兵問題が取り沙汰される中、
2005年3月7日に、サマワで英軍、オランダ軍、自衛隊の共同記者会
見が行われた。
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