インフラ海外拠点コーカサス

『лица faces 顔 〜チェチェン支援ギャルに迫る!〜』


(取材・文/山口花能)


『チェチェンの子どもを支援する会』の精鋭のうちの1人に、ロシア語要員とし てはたらく、せくすぃ〜人妻がいる。福島県在住の佐倉さくらさん(ハンドル名)だ。 主婦で3歳児の母である佐倉さんは、なぜチェチェン支援にハマりこんだのか。
高原にたたずむ謎の女性の正体は、チェチェン支援ギャルの佐倉さん。彼女、
東京に引越し予定があるそうな。早く上京してきてね。


●特技はコレしかない
 私とロシア語との出会いは、大学で専攻したのが始まりです。私が大学入学した’
89年って、まだ冷戦構造が健在で、ソ連を筆頭とする旧共産圏といったら、資本主義
は敵みたいにレッテル貼ってたでしょう。今の北朝鮮に近いようなところがあったの
ね。日本もソ連を仮想敵のようにしてたし、その根拠とは何かという素朴なところか
ら、ロシアに興味を持ちました。けして『ドストエフスキー命』とかじゃないです。

 大学は7年間行きました。大学でノンベンダラリとしながら「あ、私ってカッコヨサ
に憧れて大学院まできたけど、研究がべつに好きじゃなかったんだ! こんなことし
てても自分を含めた誰も幸せにならない」ってよ〜やく分かったんです。先生にも
「君は研究者に向いていない」と言われ、自分でも「ハイ、そのとおりです」と…。
自分の生きがいについて悩んだとき、私は人に『ありがとう』といわれるのが一番う
れしいと気づいた。私の特技はロシア語しかないので、それを活かそうと思ったの。



●出産、スルツカヤ、通訳体験
 私は運動音痴なんですが、フィギュアスケートを見るのが大好きなんです。特にの
めりこみだしたのは’98年の長野オリンピックで、イリーナ・スルツカヤ(ロシアの
女子フィギュアスケート選手)を見たときから。ぽっちゃり顔のかわいい選手で、た
またま彼女がロシア国籍だったんで、より親近感を持った。

 私は大学卒業後、商社に勤務して、結婚。家庭に入りました。出産前後は子どものこ
とで精いっぱいでしたが、昨年、子供が2歳になったあたりが転機になったの。『家
庭の中だけで、このままくすぶってるのもツマラナイわ』と、ネットサーフィンを始
めて『私はロシア語ができるんだけど、何かお手伝いさせて』とあちこちにメールを
出しました。もともとあったフィギュア熱も思い出してきて、イリーナ・スルツカヤ
のファンサイトを運営してる日本人のウェブマスターに、ロシア語翻訳の手伝いを申
し出たんです。私はもともと人助けが好きだしね(笑)。それで、ネット上にあるス
ルツカヤのメッセージを日本語訳したり、ウェブマスターの手紙をロシア語に直した
りと、ささやかにお手伝いをしてました。そうした経験をへて現在は、ロシアのフィ
ギュアスケート選手の取材を独自にしたり、在宅で翻訳を請け負ったりしています。

 去年、スルツカヤが来日したときは、私がにわかジャーナリストになって取材して、
インタビューの様子を、所属する翻訳グループのホームページに載せたのよ。通訳体
験談みたいなかたちでね。私が浴衣をプレゼントしたら、スルツカヤは大喜びでし
た。私は特定の国の人を、その国籍ゆえにきらいとは思わないようにしてる。ロシア
の舞台劇や映画も大好きですしね。

●誰も好きこのんで戦地に生まれるわけではない
 チェチェンに関心を持った直接のきっかけは、一昨年(’01年)11月に、『週刊金
曜日』でNGOの紹介文を見たこと。そういえばって感じで、同じ年の4月にジャーナリ
ストの林克明さんが、チェチェンの記事で週刊金曜日ルポルタージュ大賞≠受賞
したことを思い出して…。

 さっそく『チェチェンの子どもを支援する会』のHPにアクセスして、『ふ〜ん、ずい
ぶん新しいNGOなんだな』と。これから頑張っていこうとしてる組織だと思ったの。
それで『お役に立ちたい』とメールを送ったら、
折り返し『さっそく、お願いします』という返事がきた(笑)。このときはとまどう
よりも、役に立てると思ってうれしかったですね。それからは、チェチェン支援NGO
の活動が紹介された毎日新聞の記事を、私が露訳したものを、アゼルバイジャンに住
むチェチェン難民の人たちのところに届けてもらったりしたわ。
 
 私は自分の特技がロシア語であると思い出したときに、チェチェン問題が一番気にな
りました。誰も好きこのんで戦地に生まれるわけではないのに、大国の思惑に左右さ
れる人々。NGOが撮影してきたビデオで、チェチェン難民の子ども達が無邪気に遊ん
でいるシーンを見ると、『自分が母親だったら』と想像して耐えられなくなります。
祖国を追われ、外国で難民生活をしているわけですから…。

 チェチェン支援も、ロシア・フィギュアスケートを日本へ紹介をすることも、私に
とっては『ロシア語を使った人助け』として、どちらも同じぐらい大事なことだと思っ
てます。これからももちろん、両方の活動をずっと続けていきますよ。



佐倉さくらさん プロフィール
’70年生。福島県在住。大学でロシア語を勉強。現在は在宅翻訳のかたわら、人道支
援にも力を入れる。忙しい毎日で、幼稚園の先生に、お弁当のおかずの品数が少ないと
注意されることも…。家族は夫と、3歳になる長男。
■佐倉さんのロシアフィギュアスケート・ルポが読めるHP
学芸会で民族舞踊『レズギンカ』を披露する子供達。女の子が着ている衣装はチェ
チェンの民族衣装だ。この衣装を作るために、ラードゥガの先生たちは大変な苦労を
したが、民族の誇りを忘れないために頑張ったという。(2003年5月・アゼルバイジャ
ン・バクーにて)
『おばあちゃんの家』
リハビリセンター 『ラードゥガ』の生徒が描いた絵。 絵を描いたのは、ガザーエフ・サイード・マゴメッド (男)11歳 (記憶の中の家、あこがれの家を描いているのだろう。 現実は難民生活なので、この絵のような暮らしをしているわけではない。)
『国際婦人デーの絵』
同じく『ラードゥガ』の生徒のナジャーエヴァ・マリーカ(女)14歳 が描い た。
「お母さんは病気、お父さんはいない。3人きょうだい」
(お父さんはいない、というのは、よく子供たちが使う言葉。「死んだ」とはい わな いし「行方不明」ともいわない。目の前で親を銃殺された子供もいる。子供たち の精神的な傷ははかりしれない。