東長崎外(国内)北海道

揮毫した石碑/元帥海軍大将東郷平八郎編

(写真/文:神博行)



太平山三吉神社


前回は将軍が揮毫した石碑について書いたが、今回は海軍の提督が揮毫した石碑を紹
介する。
元帥海軍大将東郷平八郎といえば、世界三大提督の一人でもあり東洋のネルソンとし
て世界中に知られた海軍の英雄である。

日露戦争の日本海海戦で聯合艦隊司令長官として、ロシアバルチック艦隊を撃滅した
聖将と呼ばれ、日露戦後も長く海軍の重鎮として昭和9年まで生きた長寿の提督であ
る。
「元帥伯爵東郷平八郎謹書花押」


元帥海軍大将である東郷平八郎は東郷元帥として親しまれているが正式には「元帥海
軍大将」で海軍大将の元帥なのである、海外では元帥を階級としている軍制もあるの
で混同しやすいが、旧日本陸海軍では大将の中から特に選ばれた者が元帥に列せられ
る。
元帥は定年がなく生涯現役の軍人となるので、大将とはそこが大きく違うのである。
「平岸天満宮」


しかし東郷元帥は「侯爵」であった、「伯爵」とあるので伯爵の頃に揮毫したのが解
るが侯爵になったのが死去の前日に陛爵し侯爵となっているので「侯爵」の肩書きで
揮毫されたものは皆無なのかも知れない。
石碑からいろんなことを学びとても勉強になる。
東郷元帥は従一位で大勲位で功一級と軍人としての栄誉を全て得ていたような人物で
あった。
三吉神社とどんな縁があるのかは解らない。


晩年は書道家として揮毫した数もかなり多く海軍にもいろいろ事情があったようで、
小笠原中将による英雄としての伝説というか「東郷物語」としてさまざまな脚色がさ
れているため意外に思われるだろうが、東郷元帥に余計なことをされないため「字で
も書かせておけ」としていたとの話もある。
東郷元帥が英雄なのは認めるが、機関科問題(一係問題)やロンドン軍縮会議などで
海軍側の思惑で利用されたり口出しをしたりと困ったこともあったらしい。

 もちろん私は東郷元帥を否定するつもりはない、むしろ東郷会にもかつて入ってい
た程東郷元帥は大好きな軍人の一人である。
東長崎機関の読者も機会があれば近所を散策し、石碑や記念碑、慰霊碑、忠霊搭など
誰が揮毫したとか、街との関わり、歴史を知るきっかけとして見てみるのも面白いの
で石碑探索を勧めます。
きっと意外な発見や文献や映画でしか知らない軍人や政治家などの歴史上の人物と思
わぬ所で出会うことでしょう。