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ゴジラと自衛隊・50年目の決別 1

(報告:常岡千恵子)

  今を溯ること50年の1954年、日本最大の国際映画スター・ゴジ
ラと、現在人気急上昇の自衛隊が産声を上げた。
  本邦初の怪獣映画『ゴジラ』は、おそらく自衛隊の映画デビュー作で
もあった。

  以来、ゴジラと自衛隊は、ともに戦後日本を歩んできた。
現代もしくは近未来の軍隊がタブー視されていた戦後日本の大衆娯
楽において、ゴジラに代表される怪獣映画は、自衛隊が軍事的に活躍で
きたほぼ唯一の場であった。

  そして半世紀を経た2004年、奇しくも両者は別離の時を迎えた。

2004年7月18日、
陸上自衛隊富士学校・富士駐屯地
開設50周年記念行事にて
  ゴジラ生誕50周年記念作品『Godzilla Final Wars』は、従来のゴ
ジラ映画とはまったく異なる、スピーディーで型破りな異色作となり、
泥臭い自衛隊の出番はなかった。
  また、東宝は、この作品でゴジラ・シリーズにピリオドを打つ、と発
表した。

  ゴジラ最終作の舞台は、地球環境の破壊のせいで、怪獣たちが跋扈す
る世界。怪獣の脅威に対し、人類は地球防衛軍を組織していた。
  地球防衛軍は、世界各地に出現した超常能力を持つミュータントを集
め、M機関という対怪獣用特殊部隊を設置した。

  ここでちょっと気になったのは、地球防衛軍の制服がナチスの制服み
たいで、世界公開した時に問題になるかもしれないなぁ、ということ。
  日本人はナチスのデザインを無邪気にカッコいいと受け止めるけど、
欧米ではいまだにタブー。
  悪玉の制服ならともかく、正義の戦士の制服としては、問題かも。

  1990年あたりに、サントリーが、1936年のベルリン・オリン
ピックをテーマにしたパブを開いた時にも、欧米メディアから"悪趣味"
との批判を受けた。
  ベルリン・オリンピックというのは、欧米では"ヒトラーのゲーム"
と呼ばれ、現在でも忌み嫌われている。日本のメディアは、あまり伝え
ないけど。

  そして、日本人がすぐ忘れちゃうのが、戦争に負けたら悪者だという
普遍の掟。
敗戦国が戦勝国と同等の権利を主張できるなら、誰も苦労して戦争に
勝とうとは思わない。

  ドイツのシュレーダー首相は、先日も、「歴史解釈の修正はあっては
ならない。ドイツ人には歴史に対する責任がある」と語っている。
  同じ国連安保理常任理事国入りを目指すにしても、頑な日本のやり方
と、どちらが外国にアピールできるかを、よく考えてみよう。

2004年12月2日付 朝日新聞7面 
  ところで、ゴジラのストーリーに戻ると、ある日、突然、世界中で怪
獣たちが暴れ出し、謎のUFOが飛来して彼らを消滅させる。
  UFOの主はX星人で、地球は妖星ゴラスと衝突すると警告した。ま
た、X星人は、ラドンに襲われた日本人初の国連事務総長も救った。

  どうやら、この作品の世界では、日本は安保理常任理事国どころか、
発展途上国に転落しているらしい。国連事務総長は、通常、先進国から
は選出されない。
  このへんも、自衛隊の協力を仰がなかった理由のひとつなのかしらん。

  それはさておき、地球人は、X星人を熱烈歓迎し、浮かれ騒いだ。
  しかしながら、主人公のM機関戦士らは、無事帰還した国連事務総長
が人間ではないことに気づき、妖星ゴラスが実在しないことも発見した。

  そうとも知らず、無邪気にX星人をもてはやす地球人たちは、まるで
メディアに扇動されやすい現代人そのもの。

  つい、2004年初めから、とくに夏から一斉に中国の脅威を喧伝し
始めた日本のメディアを連想してしまった。

  今話題の東シナ海ガス田開発については、それほど埋蔵量がないとい
う説もあるし、2004年7月20日付の日経新聞も「よほどばく大な
資源量と新規のガス需要がなければ、海中パイプラインを敷設してもコ
ストが見合わない。」と報じている。

2004年7月20日付 日経新聞3面 
  日本のメディアが、なぜ急にヒステリックに中国を攻撃し始めたのか、
いまいち合点のいかない今日この頃である。
  誰かが何らかの目的で、情報操作しているんじゃなかろうか?


  話を映画に戻すと、国連事務総長がテレビ出演している最中に、彼が
X星人であることがバレてしまった。
  そこでX星人は、それまでの友好的な仮面を脱いで残忍な本性を露に
し、消滅させた怪獣たちを復活させ、世界各地の大都市を破壊した。
 彼らが地球にやってきた真の目的は、ミトコンドリアを摂取するため
に地球人を家畜にすることだった。

  主人公のM機関戦士らは、かつて人類が南極の氷に閉じ込めたゴジラ
を覚醒し兵器として利用すべく、海底軍艦 新・轟天号で南へ飛ぶ。
  ゴジラが、"人間って、ホント、勝手だよね〜"と思ったかどうかは、
定かではない。
  それはともかく、人間の本性をリアルに描いた展開といえよう。

  さて、覚醒したゴジラが怪獣たちと闘っている間に、主人公のM機関
戦士らは、UFOに突撃する。
  そこで主人公のM機関戦士は、X星人の統制官と対決するのだが、
統制官は、実はミュータントはおよそ12000年前に地球に飛来した
X星人と地球人の混血の子孫なのだと明かす。

  主人公のM機関戦士は、"カイザー"と呼ばれる、とくに強力なミュ
ータントで、統制官は彼を操ろうと試みる。
  だが、主人公のM機関戦士は、自らの血の呪縛を振り切ってX星人統
制官に抵抗し、彼を倒すのであった。

  「自分がどんな存在かは、自分で決めることができる」
このセリフは、今の日本人に一番必要なものだと思う。

  忌まわしい過去の呪縛を逃れ、過ちを繰り返すことなく、自らの意志
で新しい道を切り開く。
 人はそれぞれある状況下に置かれ、自由な身ではない。しかし、自分
を取り巻く状況の中で、自分を見失わずに、悪しき性癖に陥ることなく、
自分のあり方を主体的に決めることこそ、求められているのではないか。

  従来のゴジラ映画では、主人公は受け身であり、与えられた状況に身
を任せるか、"しかたがない"と堪え忍ぶか、よけなことを考えずにひ
たすら頑張るタイプが圧倒的に多く、自分がどうありたいかを模索する
登場人物は希だ。

  自分のあり方を自分で決めるということは、時に伝統を打ち破ること
でもある。
  ゴジラ・シリーズ最終作は、このコンセプトを地で行く、異彩を放つ
ゴジラ映画となった。

  ひとたび覚醒したゴジラの怒りは、X星人が操るカイザーギドラを倒
した後も収まることなく、大破壊を続け、主人公たちに迫る。
  主人公たちはゴジラに対し武器を構えるが、そこへ、富士山中からミ
ニラを連れてきた少年が両手を広げて立ちはだかる。

  その姿は、中国の天安門事件で戦車の前に立ちはだかった、一人の中
国人男性を彷彿とさせる。

  そもそもゴジラという怪獣は、人類の愚かな核実験によって創り出さ
れたのである。
ゴジラは人類に対して深い怨念を抱いている。
 そのゴジラの強大な破壊力のおかげでX星人撃退を果たせたくせに、
武力で対抗しきれぬゴジラに立ち向かおうとは、再び愚かな過ちを犯す
ことにつながる。

  根本的な問題は、いかにしてゴジラの怒りを鎮めるか、なのである。
  ゴジラは目の前に現れたミニラに心が和んだのか、2頭はそろって海
へと戻っていった。

  『Godzilla Final Wars』のドラマは、真実がいかに捉えにくいもの
であるか、そして、真の勇気とは、周囲の状況に流されることなく、最
後まであきらめずに挑戦し続けることであり、同時にまた、ものごとの
本質を見極め、引く時は引くことだと、教えてくれているようでもある。

続く