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ゴジラと自衛隊・50年目の決別 3

(報告:常岡千恵子)

 それにしても、ゴジラの終焉とともに、自衛隊がゴジラ映画を卒業し、
一枚看板で主役を張るとは!!
  しかも皮肉なことに、『戦国自衛隊1549』のメガホンを取るのは、
2002年の『ゴジラXメカゴジラ』で女性自衛官の活躍を描いた、手
塚昌明監督なのだ。

  軍隊もの邦画2,3本程度なら、まだ健全な娯楽の範疇と受け止めら
れるが、一挙に懐古趣味的時代錯誤映画5本とは、集団として感情的に
急に大きく振れやすい、日本人の生来の負のエネルギーが一気に噴出し
ているとしか、考えられない。

 日本の特撮は、今まさに、忌まわしい先祖返りを遂げた。

 陸上自衛隊なぞは、早速2005年からゴジラ迎撃の主要装備である
戦車を900両から600両に削減するなど、えらく準備のいいことである。
 また、彼らの任務も、国土防衛から国際テロ対策へと主眼が移り、何
のことはない、彼ら自身も警察予備隊へと先祖返りしてしまった。

  実は、これまでの怪獣映画においてさえも、自衛隊の協力を得るため
に、作品中で装備の破壊を控えるなどの妥協が行われていた。
  何てったって、自衛隊はタダで協力してくれるんだから。
  しかし本当は、そのカネは、納税者が負担していたのである。

  今や、その納税者のカネが、より現実的な作品の中で、自衛隊の洗脳
作戦にじゃんじゃん遣われるご時世となった。
  当の自衛隊の広報担当者さえ、「メディアの立場に立てば、自衛隊と
慣れの関係を作ることが本当にいいことなのかなと思う。自衛隊にはい
いことでしょうが」と朝日新聞に語るほどである。

2004年3月23日付 朝日新聞1面 
  50年前の『ゴジラ』には、迫りくるゴジラを命がけで生中継するよ
うな、気骨あるリポーターが登場したが、現在の日本だったら、当然報
道管制が敷かれ、メディアもそれにフニャフニャと従ってしまうに違い
ない。

http://www.higashi-nagasaki.com/z/gz_2002_102.html

  そして自衛隊は、サマワのように引きこもり、怪獣と闘わずして「怪
獣殲滅」などと大ウソを発表し、メディアは検証もせずにそれを垂れ流
すのであろう。

  ところで、"国際的な活動"を謳う防衛政策と逆行するように、近年、
日本人はますます生来の内向き志向を強めている。
 日中バレーボール試合で、中国人選手が活躍しても、その氏名さえ伝
えぬ欠陥中継が、まかり通るほどなのだ。

  国内では勇ましいが、サマワなどに出ると萎縮してしまう自衛隊は、
まさに現在の日本人全体を体現しているといえよう。
  "内弁慶"は、百害あって一利なし。
 "内弁慶"な集団ほど、弱い犬ほどよく吠えるのと同様、何かの拍子
で突発的に集団ヒステリーに陥り、周囲には理解しがたい暴走を始める
ものだ。

  押しも押されぬ国際スター・ゴジラの魅力は、その威風堂々としたス
ケールの大きさにある。
  人類の手に負えない圧倒的な破壊力、一種の自然現象ともいえる壮大
な存在は、日本人のみにしか通じえない"義理人情"だの、"阿吽の呼
吸"だの、"浪花節"だの、"武士道"だの、"大和魂"だの、"しがらみ"
だのの、セコセコと閉鎖した情緒的かつ非論的理思考を粉砕し、世界の
人々を魅了した。

  自衛隊の諸君もコソコソせずに、ゴジラを見習い、正々堂々と透明性
を保ちながら、大きな心で悠然と海外任務に励んでほしいものである。

  日本のメディアも、この重大な転換期だからこそ、政府の情報操作に
荷担することなく、堂々と第四権力としての意地を見せていただきたい。
  第四権力による政府のチェック機能は、民主主義国家において、欠く
べからざる存在なのである。

  破壊神と呼ばれるゴジラは、実は、日本の負のエネルギーを封印して
きた、平和の守り神だったのだ。
  ゴジラが去り、パンドラの箱が開いた今、われわれ日本人は自らの手
で、生来の負のエネルギーを理性的にコントロールし、冷静に状況を判
断して、日本の平和を築いていかねばならない。

 ゴジラよ、長い間、ありがとう。