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製品化されなかったDVD「トラトラトラ」




 以下は、2009年に映画配給会社「太秦」から請け負ったが、4年経過して も製品化されていないDVD「トラトラトラ」への解説評論文原稿。そのまま埋 没させるのもなぁ、ってことで、東長崎機関で公開決定。以下は、依頼主「太 秦」からの依頼項目に沿った原稿という形になっているから、映画評論ライター業やりたい人には参考になるかな。  そういう業界意識のない人にとっては、以下の原稿は長すぎて、たるいかも。

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 真珠湾奇襲攻撃は、第二次世界大戦の中で、日本軍が、最も緊張度も真剣度も 高くして行った作戦である。「戦争は命がけなんだから、どの戦闘でも作戦でも 真剣だろう」とおもう方がいるかもしれないが、その後の日本軍の軍事行動に は、経験を積むに従い、慣れによる不注意や怠慢、諦めや自己保身など、多くの マイナス要因が目立っていた。真珠湾奇襲攻撃が決して満点であったわけではな いが、第二次世界大戦中の日本軍の戦としては、マイナス点が極めて少ない作戦 だった。それは、開戦と同時の奇襲攻撃であり、実戦経験がないがゆえに、また 前例のない危険な作戦であるがゆえに、緊張と集中が高まった。

 戦争というのは、派手なアクションシーンだけで成り立つわけではない。「ト ラトラトラ」では、日米開戦の数ヶ月前からの時々刻々を描いている。映画全編 のその日米開戦に向かう中で、ピンポイント的に重要なできごとのほとんどが、 「トラトラトラ」では、取り上げられていて、歴史を忠実に再現する映画として 文句ナシの大作だ。映画全編の半分以上(約1時間20分)は、日本軍の航空機 部隊が発艦するまでのシーン、つまり地味なシーンにあてられている。だからそ の前編の奥深さを味合わなければ「トラトラトラ」を堪能したことにはならな い。それら奥深さを味わうために、重要だがそれほど有名ではない件について解 説してみよう。

 日米双方から「タラント」という言葉が何度か出る。真珠湾奇襲攻撃の約1年 前の1940年11月、イタリア海軍のタラント軍港をイギリス軍航空母艦から 発艦した雷撃機が攻撃し戦艦3隻を撃沈した作戦は、空母艦載機による史上初の 軍港攻撃であり、日本軍の真珠湾攻撃は、タラント軍港攻撃の拡大版且つ改良版 である。そのため、「真珠湾奇襲攻撃」を語る上で、「タラント」は、両軍にとって外せないキーワードだ。

 また、南仏印(南ベトナム・フランス領インドシナ)へ日本軍が進駐した件 で、連合艦隊司令長官山本五十六が「もう、どうしようもない」と絶望的な苦言 を発するシーンが出てくる。日本陸軍の中国からインドシナ半島への進出は、北 仏印までの状態では、米英をそれほど緊張させなかったのだが、南仏印まで日本 軍が進駐したことによって、それまでとは全くレベルの違う対日姿勢になり、対 日経済封鎖が強化される。それは、南部仏印に航空基地を持った場合、大英帝国 の極東の一大拠点シンガポールが攻撃圏内になるからである。映画中の「南仏印 進駐」という一言には、それだけの重みがあり、日米開戦へ突き進む転機を表している。

 日本軍の太平洋方面への開戦は、真珠湾奇襲攻撃だけではなく、イギリス領マ レー半島への奇襲上陸、フィリピンの米軍基地への空爆など、1万キロメートル 以上離れた広大な戦線での同時奇襲作戦で始まったのである。この映画では、そ の緊張感を表すシーンは幾度となく出てくる。日本軍の輸送船団が台湾沖を南下 とか、輸送船団が護衛つきでマレー半島方向へ南下などの電文が、米軍司令部で 読み上げられるシーンもある。通信事情も現在からは想像もできないくらい不便 だった時代であることも想像してもらいたい。

 戦艦「長門」艦上で、空母6隻を集中投入する必要を論じる場面がある。ま た、航続距離の短い艦艇も含めてのハワイ沖まで往復する給油計画や天候の心配 などで頭を抱える参謀、真珠湾攻撃という一大軍事作戦を可能にするための後方 支援の重要性を示すシーンは、他の戦争大作映画に比べても、非常に充実してい る。特に、軍事に強い興味があるわけではない方は、書籍等で、後方支援のこと を読む気にもれないかもしれず、映画の1シーンとして、このような細かい描写 を見逃さないように楽しむのは、楽に軍事の奥深さを知れる良い機会ともいえ る。そのよな目で見ると、真珠湾へ向かう日本軍の航空母艦内にドラム缶が置い てあるシーンなども目につく。事実、艦内の通路などの空きスペースに燃料を入 れたドラム缶を積むなど、できる限りの状態にして、日本艦隊は、出撃したので ある。だが、このような措置は、もし敵の攻撃を受けた場合、艦内での誘爆や、 火災の広がりを助長するため、軍艦のダメージコントロールという観点からは、危険な運用である。

 航空母艦から、艦載機が発艦してやくシーンも、なかなか描写が細かい。艦上 では、信号旗から、横風が吹いていたことがわかり、発艦命令とともに、航空母 艦だけ、右旋回して、艦首を風上に向ける。航空母艦だけが、風上に向けて航行 している状況がわかるように、背後では、護衛の駆逐艦が違う方向へ動いている 場面をしっかりと入れている。航空母艦への飛行機の発着艦では、必ず、艦は、 風上に向けて航行する。それは、飛行機が十分な向かい風を受けるようにするた めである。これは、発着艦に必要な距離を短くするためである。

 アメリカ軍内部の描写も、危機感のある軍人とない軍人の差。大事な情報が無 視されたり握りつぶされたりする組織弊害などが克明に表現されている。その中 で、「これまで日本は、いつも宣戦布告前に戦闘行為を始めている」とと述べる 場面がある。日露戦争、満州事変、日中戦争と、日本は、先に手を出す国という イメージが、真珠湾奇襲攻撃前のアメリカにもあったということを示している。 この分析などは、日本人よりも、アメリカ人のほうが日本の癖を客観的に捉えて いる点ともいえる。多くの日本人には、自分たちが先に手を出す民族という意識 は乏しいだろう。また、米軍内での「適当な警戒手段を取れ」や「市民に不安を 起こさせないよう、防衛に必要とされる措置を取れ」という命令に対して「曖昧 で矛盾、責任逃れ」という不満が出る場面があるが、これは、米軍では、ふだん からいかに具体的な指示伝達が充実していたかが伺える。日本人同士だとこのて いどの曖昧で感情的な指示は、日常茶飯事だ。曖昧な表現で、お互いに空気を読 み合うような習慣は、その後の日本の負け戦の大きな元凶となってゆく。米軍 レーダー要員の場面でも、米軍では、上官に対して、基本的な質問をどんどんぶ つけて、上官は、それにしっかりと答えている。日本軍だったら叱られるだけ で、具体的な答えなど貰えないかもしれない。

 後半の真珠湾攻撃シーンでは、戦闘シーンの克明さ、低空で飛ぶ日本軍機の迫 力などを言うまでもなく「トラトラ」の名場面だが、歴史再現映画としての深み を感じさせる場面がふんだんに使われている。例えば編隊飛行による水平爆撃に よって大戦果を上げるシーンがあるが、これは、戦艦の主砲弾を改造して作った 装甲貫通用爆弾の成果だ。戦艦の装甲甲板を貫通する爆撃をできたのは、当時は 日本軍だけだった。水平爆撃は、3000メートル以上の高高度から行うことに よって重力加速度を得て貫通力を増すが、命中精度が悪い。戦術面の再現も忠実 だ。雷撃機が3機編隊で目標に魚雷を発射する場面が何度も出てくるように、こ れは日本軍の基本スタイルである編隊雷撃であり、航行中の艦船に対しても効果 が高い。米軍は、1機ずつ各パイロットの判断で攻撃タイミングを伺う戦術だ が、日本軍は、雷撃も爆撃も編隊として一斉に行う。日本軍方式は、うまくいけ ば効果が大きいが、敵の対空砲火等にも、狙われやすい単調な動きになってしま う欠点がある。そのため、編隊で飛行する中の後ろの機体が、対空機関銃で撃墜 されたり、飛び上がった2機の米軍P−40戦闘機に、編隊の後ろの機体から順 次撃墜されてゆく。欧米の空軍では、このような空中戦が始まった場合、編隊を 散開されるのだが、日本軍は、最後まで編隊として行動しがちだ。映画の中で は、米本土からハワイへ飛来して突然戦闘に巻き込まれた米軍大型爆撃機 B−17は、すぐに編隊を解いて、各機の独自判断で難を逃れようとしている。 奇襲というパニックの中でも個人の判断で的確な動きができるアメリカ兵と、あ くまで組織行動の日本兵の違いがよく描かれていた。不意を打たれながらも、混 乱の中で、なんとか態勢を整えようとしてゆく米軍の動きからは、日本軍にはできない変幻自在の底力が表現されている。

 一方、日本軍の攻撃は、組織的且つ計画的であり、第一波が大型艦への攻撃か らスタートし第二波は、陸上航空基地と港湾施設、戦艦ネバダを中心に襲った。 通信事情の悪い当時、戦場での即断で、このような組織的な行動ができるのは、 細かい意思疎通に長けた日本人の強味だった。映画の中の戦闘シーンでは、多少 時系列が交錯する箇所もあるが、上記のようなおおまかな日本軍の組織行動は しっかりと再現されている。 映画評論家の品田雄吉は、前半はひとつのクライマックスにむかって多数の人物の挿話がしぼりあげられてい く構成であり、後半は一時間に及ぶスペクタクル・ショー。これは、もっとも オーソドックスなハリウッド式映画作法にのっとった一編の構成である。真珠湾 攻撃のシーンは、本物の飛行機をつかったというのが見どころで、その迫力はあ る」と、キネマ旬報1970年11月上旬号で述べている。

---------------------- 名場面1200 ----------------------

1) 日本軍機の爆撃の中、離陸しようとする米軍P−40戦闘機が爆発してゆくシー ンは、周囲のアメリカ兵たちの動きを見ると、これほど危険な撮影をよくぞ行っ たと驚かされる。爆発しながら突っ込んでくる戦闘機から蜘蛛の子を散らすよう に逃げるシーンは凄い。間一髪で逃げ切る1人が、四つんばいになって走って遮 蔽物に駆け込むのだが、これは驚きと恐怖で腰が抜けてしまい立ち上がれなく なったものの必死で逃げる姿であり、演技ではなく真実だとしか思えない。ま た、この飛行場攻撃のシーンは、近接戦闘なので、攻撃かる日本軍機と、着弾す る爆煙や、撃たれて爆発するアメリカ軍機が、一連の動きとして同一シーンに映 りこまれている点が、他の戦争大作映画と比べても圧巻である。戦争映画の大き な戦闘シーンは、発砲する側と撃たれる側が別々のカットになっていることが多 く、「トラトラトラ」のこの飛行場攻撃シーン撮影が、非常に難易度の高い現場 統括を見事にこなした賜物だろう。爆撃下のアメリカ兵の動きにも、意味のなか 動きはほとんどなく、爆撃下でカタリナ飛行艇を退避させようと牽引している動 きや消火活動のため燃えてる機体に近寄ろうとして爆発によって引き返す動きな ど、危険な撮影現場にもかかわらず芸が細かい。

2) 航空母艦からの日本軍機の発艦シーンは、夜明け前の暗い時間帯から、日の出、 そして明るくなる時間帯まで続く、このような構成は、時間の経過をしっかりと 感じ取らせ、「時々刻々」というイメージを非常によく伝えているシーンだ。6 隻の航空母艦から350機の航空機を発艦させる作業の長大さを十分に表してい る。似たシーンの繰り返しなのに、これほど、重みを感じさせる編集からは、映 画撮影スタッフが、軍事行動の大変さというものをしっかり理解しているからだ ろう。爆弾と魚雷は、1機に1発ずつであり、その1機ずつが、いかにしっかり と務を達成してこれるかが、見送る指揮官にとっては大切だという、1機ずつの 出撃を大切に見守る心境も伝わってくる。こういうシーンを短縮しないで、十分 な長さにして使うことが映画の重厚感を高めると感じた。

3) 真珠湾の軍艦を攻撃するシーンでは、攻撃する日本軍パイロットの表情、爆弾や 魚雷が放たれる瞬間から爆発炎上、その中のアメリカ兵、そして、それらの全体 像を俯瞰できる空から見たのシーンなどが、繋げられている。そのため、観てい る側は、その戦闘場面をいろいろな角度、立場から見ることができ、1つ1つの 戦闘を立体的に把握できる。可能なかぎり戦争の様相を具体的に観客に理解して もらおうとする編集であり、戦闘シーンを派手さや迫力だけで誤魔化そうとして いない。場面構成の因果関係がしっかりしていて論理的な繋がりになることに気を遣っているシーンに溢れている。

---------------------- 史実3000 ----------------------

 真珠湾奇襲攻撃は、その攻撃だけを見るのではなく、日本が太平洋へ戦争を一 気に拡大する開戦劇の1つとして見ると、より深く感じ取れるものがある。英領 マレー半島への上陸、フィリピンの米軍基地への空爆、タイへの進駐と、1万キ ロ以上離れた広大なスケールの戦線で、日本軍は、一斉に奇襲攻撃をかけたので ある。しかも、中国大陸では、長大な戦線で泥沼にはまりこんでいた状態におい て、新たに、太平洋に戦線を開いたのである。「トラトラトラ」の中でも出てく るが、日本が太平洋に戦線を拡大した目的は、インドネシアなど、南洋の石油等 戦略資源の確保であって、アメリカとの決戦ではなかった。ましてや、ハワイの 攻撃などは必要ではなかったという解釈も強い。南洋の油田地帯を確保する上 で、アメリカ軍に阻止されないために、先に真珠湾のアメリカ海軍部隊を殲滅し ようということであり、つまり、真珠湾攻撃は、目的ではなく手段でしかなかったのである。

 これほど多方面に渡って同時開戦している中で、「赤城」「加賀」「蒼龍」 「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」と主力空母6隻の全てを真珠湾に投入したということ は、第二次世界大戦中の日本の作戦運用としては珍しい。日本軍のやり方は、 「逐次投入」といわれていて、穴を塞ぐような形で、少しずつ兵力を投入する癖 があり、これは、次の行動を敵に予想されやすい弱点がある。また、どこかの一 点で圧倒的勢力をもって突破する可能性をなくしてしまうので、戦争のやり方と しては悪い例として語られることが多い。その後のサンゴ海海鮮、ミッドウェイ 海戦などは、奇襲ではなく、航空母艦同士の対決という難しい戦いでありなが ら、投入した空母の数は真珠湾より少なく、日本軍の兵力分散癖が現れている。 その後の作戦と比較すると、真珠湾奇襲攻撃は、冒頭で述べたように真剣度と緊 張感が高く、日本軍の作戦としては、かなり満点に近いモノといえる。しかし、 真珠湾攻撃についての失敗点を論じている専門家も多いので、その点についても述べてみたい。

 まず、これは「トラトラトラ」の中でも出てくるが、第2次攻撃隊を出動させ なかったことについて。真珠湾の軍事施設への攻撃効果については、港湾施設や 貯油タンクなどの後方支援的な戦略目標に対する攻撃が不十分であったため、第 2次攻撃隊を出して、それらの設備にも甚大なる被害を与えるべきだったという 見方もある。しかし、日本艦隊は、自軍の犠牲が少ないうちに撤退することのほ うへ選んだ。では、第2次攻撃隊を出していたら、本当に戦略目標を破壊できたのだろうか。

 第1次攻撃隊の例で見ると、第1次攻撃隊の第1波攻撃隊は、183機中9機 が撃墜されていて、同じく第1次攻撃隊の第2波攻撃隊は、168機中20機が 撃墜されている。この数字からは、第1波の奇襲攻撃で慌てて応戦態勢を整えた 米軍は、わずか1時間遅れの第2波に対しては、2倍以上を撃墜していることが わかる。さらに準備を整えた米軍に対して、第2次攻撃隊が襲った場合、犠牲は もっと大きくなることは容易に想像がつく。第1次攻撃隊の第2波が、8機のう ち1機が撃墜されているというのは、奇襲であったわりには、大きな損害であ る。第2次攻撃が数時間後に行われた場合、当然、奇襲ではなくなる。300機 ほどを出動させたとして、少なくとも60〜70機が撃墜されるのではないだろ うか。つまり、合計100機近くを失うことになる。また、第1次攻撃隊として 出撃した350機のうち、74機が被弾等で損傷を受けて帰還していることも見 逃してはいけない。被弾損傷している機体をそのまますぐに攻撃に向かわせれ ば、第1次攻撃のようにスムーズにはいかない。日本軍の軍用機は、空戦性能を よくするために防弾などの強靭さを犠牲にし、被弾にはかなり弱い設計の機体 だったのである。さらに、数時間の戦闘フライトをしてきたパイロットの疲労も無視できない。

 第2次攻撃を行った場合の、さらに大きな危険は、日本軍の航空母艦部隊の浮 遊海域を発見されて、航空母艦部隊が逆襲を受けることである。12月8日の攻 撃当日、真珠湾を母港にしている米航空母艦が全て出港していて、無傷だったた め、これらの航空母艦部隊から飛び立った艦載機が日本の航空母艦部隊を襲う可 能性はあった。潜水艦も脅威だ。日本の航空母艦部隊を攻撃するところまではで きないとしても、米航空母艦から飛び立った戦闘機が、日本軍の爆撃機、雷撃機 部隊を襲ったとしたら、日本軍の航空部隊の犠牲は、さらに大きくなったであろ う。もし、第2次攻撃隊がハワイ上空に達したときにすでに米軍戦闘機が飛び上 がって迎撃態勢を整えていた場合、日本軍の爆撃機隊は、爆撃前に大損害を受け て攻爆撃機は、攻撃目標上空へたどりつけないかもしれない。

 真珠湾奇襲攻撃というのは、補給や周辺護衛などの後方支援体制を含めると、 その作戦自体が、非常に脆弱なモノだったので、「とりあえず戦果を挙げたか ら、深入りしないうちに帰還」という判断は、間違いとは言い切れない。その後 の日本軍の戦い方が、なにしろ前進できる限り進み戦線を拡大しては補給が途絶 えて多数の兵士を餓死させ、戦略的に価値のない離島でも死守を命じてきたこと を思うと、勝っているうちに撤退というのは、日本の国力、継戦能力を冷静に評 価した上での良い判断だったといえるのではないだろうか。

 さて、「トラトラトラ」からもう1つ見える、戦争の大切な面がある。それ は、戦争という行為は、実は、両軍とも誤認やミスの連続であり、それら間違い の小さかった側に軍配が上がるということである。「トラトラトラ」では、米軍 は、細かいミスを積み上げてゆくが、日本は、宣戦布告が攻撃開始に55分遅れ るという重大ミスを犯し、これは、大国アメリカを一瞬で本気にさせるという失 敗に繋がる。また日本軍は、自ら「これからの時代は海の戦いは航空母艦による 飛行機の時代」と示しながらも、真珠湾では戦艦や巡洋艦などばかりを破壊し た。「空母がいなければ攻撃しないで帰還」という選択肢は作戦の中になかっ た。これは、空母撃沈という重要な戦果を目的とせず、真珠湾攻撃という偉業の 達成に酔っていた感がある。日本海軍の指揮官を集めた会議のシーンで山本五十 六が「和平が成立したら、反転帰港」と言うと、数人の指揮官から「高めた士気 のやりどころがない」という理由による反対意見を出す。これなどは、日本の軍 人が、戦争の目的をまったく見失っている良い例だ。

---------------------- 黒澤明600 ----------------------

「トラトラトラ」では、黒澤明監督が加わっていたが2週間で降板した。日米合 作で撮影を進めていたため、日本側の撮影監督に、黒澤明氏を起用したのだ。し かし黒澤は、山本五十六などの中心的なキャストにプロの俳優ではなく、日本の 代表的な資本家15人を起用しようとしたことで、まず、アメリカ側の不信感を 買った。資本家を俳優として登場させることで、黒澤は次回作への資金便宜を求 めようとしたのではないかとの疑いも持たれた。また撮影現場で、セットに対す る細かすぎる指摘によって撮影が何度も中止させられたことも、アメリカ側ス タッフを苛立たせた。黒澤明の映画の作り方は、「黒澤組」といわれる気心の知 れた馴染みのスタッフや俳優を何度も使う方法なので「トラトラトラ」のような 大きなスケールの映画制作の中でたくさんの初顔合わせの人たちと仕事をするこ とに向いていなかったと、アメリカ側スタッフは見ている。これは、黒澤個人の 問題ではなく、日本人にありがちな島国国民的な特性かもしれない。、阿吽の呼 吸で動ける同じ価値観、同じレベルの者同士では抜群の結果を出すが、多種多様 な人や要素が入り込む大きなスケールのプロジェクトの統括者となれる適正を日 本人は持っていないことを突きつけられたような気もする。しかし、脚本のほう ではあまり問題はなく、日本側脚本のかなり多くの部分は、黒澤明らによってと書かれたものが使われた。


黒澤以外でも、日本人は戦争映画を淡々と事実を再現する作りにできず、感情が 事実よりも重視された作りになってしまう。能力とは違った向き不向きの点で、 戦争大スペクタクル映画には、日本人は向いてないのかもしれない。


太平洋に戦線を拡大した日本の戦略目標は、インドネシア、ブルネイなどの南方 の油田と、そこから日本へ繋がるシーレーンであり、ハワイの米軍を叩くこと は、戦略目標を達成するための手段でしかなかった。その証拠に、二度と、ハワ イ周辺が、日本にとって戦略目標になることはなかった。このような、寄り道の ような作戦に、主力空母6隻を投入した日本の全体戦略には批判も多い。極端の 話としては、太平洋で開戦する上でも、米国には手を出さずに英領、オランダ領 だけに限定した攻撃でも良かったというものもある。


第一次攻撃隊と、第二次攻撃隊の損害比較から、第三次を推定する http://www.geocities.jp/torikai007/pearlharbor/12.7pic.html その理由のひとつは、編隊攻撃の効果だけではなく、攻撃目標まで飛び、味方航 空母艦まで戻りつくナビゲーション能力があるのは、隊長機など一部の幹部だけ だからである。真珠湾攻撃から生還したパイロットの証言で、「なにしろ、迷子 にならずに空母に帰還することだけを必死で考えていて、隊長機の翼端ばかりを見て飛んでました」というものもあった。

   発艦してゆく中で航空母艦を上空から俯瞰して見たシーンでは、日本軍の航空 母艦「赤城」として使っている船体が、実は、米航空母艦であることが、艦橋の 大きさからわかる。日本の航空母艦の艦橋は、非常に小さいことが特徴なのだ が、この場面での「赤城」の艦橋は、米軍の空母の艦橋そのものの大きさであ る。しかし、CGが多用されつつある現在の映画事情と比べると、現物の航空母 艦を使って発艦シーンを撮影していた証拠でもあり、やはり、迫力と重量感がある。