ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

東名高速VS中央高速 1



東名ルートと中央ルート

【はじめに】
 東京と名古屋を結ぶ高速道路は東名高速道路が一般的だが、中央自動車道経由でも 
時間、料金ともにさほど差がないことは知られている。東名高速道路と中央自動車道 
は愛知県小牧市の小牧JCT(ジャンクション)で接続する。つまり東京(東名高速 
道路の東京IC(インターチェンジ)と中央自動車道の高井戸IC)から小牧JCT 
までは2ルートが選択できるということである。

 首都圏と東海以西を連絡する高速道路は、東名ルートが先行して全通した。初開通 
区間は東京ICと厚木ICの間で1968年4月25日だった。1969年5月26 
日、最後に大井松田ICと御殿場ICの間が開通した。わずか1年で全区間が開通し 
ている。いかにこのルートが重要で急がされていたかがわかる。(◆表1)
 中央自動車道は、1967年12月15日に調布ICと八王子ICの間が開通し、 
順次開通区間を延長していった。1982年11月10日、最後に勝沼ICと甲府昭 
和ICの間が開通した。全通までに15年を要している。山岳ルートで難工事区間が 
多かったというハンディはあるが、東名高速道路に比べると、全通への熱意は劣ると 
思えてしまう。

◆表1
東名高速道路と中央自動車道の開通経緯一覧。
 高速道路の計画段階では中央ルートを優先すると思われたが、より工期の短い東名 
ルートが優先された。これにより首都圏と既に開通済の名神高速道路を高速道路で直 
通させるミッションは、東名ルートで達成された。中央ルートは、このミッションに 
耐えられるルートだったが、2ルートを建設する予算はなかった。そのため、首都 
圏、および東海以西と信州を連絡するローカル高速道路という位置付けで順次開通延 
長を伸ばしていった。

 東名ルートの交通量は開通当初から急増して設計交通量を上回った。それでも2 
ルートを建設するよりもほかの縦貫自動車道の建設が優先された。ところが、197 
9年7月11日、東名高速道路の日本坂トンネル(下り線)で史上最悪の火災事故が 
発生した。東名ルートは一時的に通行止めになり、その後も上り線トンネルで対面通 
行がしばらく続いた。このとき、2ルートの必然性は高まり、その3年後に中央ルー 
トは全通した。

 しかし、中央ルートが全通しても依然として首都圏と東海以西を連絡する主役は東 
名ルートのままだった。中央ルートは、恵那山トンネルが下り線トンネルでの暫定対 
面通行、この区間での特別料金の課金、さらに山岳ルートのため特に大型車両には走 
行速度の低下が強いられるなど、多くのハンディがあった。もちろん、東名ルートか 
ら中央ルートへの迂回を促進するような派手な宣伝は実施されなかった。

 東名ルートの交通量はさらに増え続け、渋滞多発区間が多数発生した。上り線の東 
京TB(本線料金所)、上下線の横浜IC出口、厚木IC出口、大井松田ICと御殿 
場ICの間、日本坂トンネル付近、岡崎IC以西など。多くは料金所ブース増設、出 
口減速車線の延長や拡幅、本線の拡幅である程度改善されたが、常時定時走行できる 
という絶対的な信頼を得るまでには至っていない。そのため第二東名高速道路が計画 
された。

東名ルートは開通当初の原型を留めている箇所はほとんどない。常に進化し続けてい 
る。それに比べて中央ルートは上野原ICと大月JCTの区間の本線拡幅くらいしか 
目立った改善を実施していない。まだ、余裕があるのだ。そこで、中央ルートの有効 
活用を促進すべく、2ルートの現状をまとめた。

◆表2
東名ルートと中央ルートの差異。
 最初に答えを記す。(◆表2)
 東名ルートと中央ルートでは、距離は4.5キロ中央ルートが長い。通行料金は、 
小牧ICまでならば300円中央ルートが高い。所要時間は、平日昼間ならば3分中 
央ルートが多くかかる。いずれも中央ルートが劣るが、大差ではない。本報告では、 
この差について、【距離(線形)】【料金】【所要時間】ごとに詳述する。

続く