ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

松原ジャンクションの変遷7




◆航空写真5
1980年5月27日、松原IC&JCT。(広域)
松原JCT以北の近畿自動車道の工事が進捗しているのに対して、以南の阪和自
動車 道が手つかずということがわかる。
(「空から見た大阪」日本交通公社発行(1980年)から引用。)

◆航空写真6
1985年
(国土地理院WEBサイトから引用。)
 大阪中央環状線南行きとして暫定供用している大和川橋梁は、大和川の北側で
地平 に下りている。本来の配置である外側からS字カーブで暫定区間に至る
が、このS字 カーブの向こうに白い高架構造物が見える。大和川橋梁部で南行
きを本来の配置であ る外側に移動させてから、これまで暫定的に使用していた
橋梁部は大和川北側の地平 への斜路は撤去されて、橋梁部の高さをキープして
高架区間に亘る。

 なお、高架区間 に入ってすぐに外側への出入口が設置される。これは長原
ICである。これまで、暫 定的だが一般道路と西名阪自動車道が出入りできた
松原ICが高速道路同士のジャン クションに改造されることにより、一般道路
との出入口がなくなってしまう。これま での接続形態を生かすため、ジャンク
ションに改造された後は短い区間だが近畿自動 車道本線を経由して大和川を渡
り、長原ICで大阪中央環状線に出入りすることにな る。もちろん、この区間
の近畿自動車道では料金徴収という野暮なことはしない。

 1985年、松原ICの南側の美原方面に阪和自動車道の本体が姿を現し始め
た。 (◆航空写真6を参照。)

 また、このころには大阪中央環状線南行きから西名阪自動車道への接続ランプ
が、 いびつなかたちになってきた。中央環状線南行き専用のルートは本来の配
置で供用し ているが、西名阪自動車道へのランプだけは近畿自動車道北行きに
なる橋梁部を使用 している。これまで使用していた南行きは先述予告したよう
に大和川北側で斜路の撤 去、高架化が施工されているので使用できなくなって
いるのだ。また、中央環状線の 本来の配置からは構造上西名阪自動車道への接
続ランプを設置するのは難しい。(◆ 模式図2ー1を参照。)

◆模式図2ー1
1985年の一時的な松原ICの路線模式図。

続く